プラハトラム22系統で真のプラハに行く+国鉄に見る日常(18年プラハ旅行記)

記事上部注釈
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プラハの見どころは旧市街、新市街、プラハ城周辺とありますが、真のプラハがあるところはここばかりではありません。これらの地区はあくまでも「テーマパークプラハ」でしかありません。そこで、私はトラム22系統に乗って、真のプラハを見学することにしました。

トラム22系統の概要

プラハトラム22系統

図1. プラハトラム22系統の路線図(公式サイトから引用、加工)

いきなり「トラム22系統に乗りました~」なんて言われてもさっぱりですよね。そこで、トラム22系統の概要を記します。トラム22系統はプラハ市の北西部から南東部を結ぶ系統です。有名観光地のプラハ城、カレル橋の近くを通り、風情ある新市街も通ります。このエリアは5分間隔で運転されています。プラハ城の近くまで向かう実質上唯一の系統(※)ということもあって、利用価値は高いです。

※実際には23系統も通りますが、30分間隔と利用価値はそれほど高くありません。また、プラハ城の下(Malostranská)であれば、トラムだけではなく、地下鉄も通ります。多くの人はこちらをプラハ城へのチャンネルとして活用しているようです。

なお、末端区間は5分間隔ではなく10分間隔です。それでもあまり待たずに利用できる点は利用価値が高いです。プラハ城から新市街エリアは観光客がよく乗る区間、それから南東側は地元住民が主体のエリアとなっています。

観光地プラハから真のプラハへ

御託はこの程度にして、実際に乗ってみましょう。私はペトシーン公園最寄りのÚjezdから乗車しました。

写真1. チェコ軍団橋から眺めるプラハ城とカレル橋

Újezdを出るとすぐに川を渡ります。ここからはプラハ城とカレル橋が眺められます(写真1)。このエリアはいわば観光地です。

写真2. 旧市街と新市街の境界付近を行く

写真3. 旧市街と新市街の境界付近を行く

川を渡ると、旧市街をかすめるように走ります(写真2-3)。中心街で賑わっている様子がわかります。

写真4. 新市街の外れを行く

やがて電車は新市街に入り、その新市街の外れにさしかかります(写真4)。赤い屋根が美しく、教会がかわいらしいですね。

写真5. いよいよ真のプラハに入る

写真6. これが真のプラハ!

ついに観光客が全く立ち入らないエリアに入りました。パネラークと呼ばれる社会主義時代の団地です。今までの「プラハといえば可愛らしい街♥」というイメージを崩してくれます。しかし、このような団地に多くの人が住み、多くの人の生活の場はこのような団地にあるのです。私はこのエリアを真のプラハと命名することにしました。このエリアは社会主義時代に大規模な団地が建設されています。社会主義時代は団地内に娯楽施設がなかったものの、現在はあるようです。私はこのあたりの事情は全くわかりませんが、きちんとした論文にまとめられています(注. 外部リンクです、1989年が1つの境界のように書かれていますが、1989年はチェコスロバキアが社会主義を放棄した年です)。

ただし、ずっと団地が続くというわけでもなく、のどかな住宅街や建物の少ないエリアも認められました。このようにして、終点のNádraží Hostivařに着いたのです。

真のプラハを散策する

プラハのトラムは最後尾は客室です。つまり、一方向にしか進めません。では、折り返しはどのように行うのでしょうか?トラムの折り返しの様子を観察しましょう。

写真7. 終点で客を降ろしたらちょっと進む

まず、終点に着いたらちょっと進みます(写真7)。

写真8. ループ線を行く

その後、ループ線を進みます(写真8)。ここで方向転換するのです。

写真9. 逆方向になった

そして、逆方向になりました(写真9)。ここから再び中心街に向けて走るのです。「終点だから、お前も乗ったんだろ?」と思う人もいるでしょうが、そんなことはしません。

写真10. 真のプラハを見る

ここで周辺を見渡します。まず目に入るのは、ちょっと遠いところにある大規模な団地です(写真10)。だだっ広いところに、団地をボンボン建てるのは何だか開発が失敗したように映ります。もっと駅に近いところに建設すれば良いのに…。

写真11. 国鉄の駅が見える

Praha-Hostivařという国鉄の駅です(写真11)。どうやら30分間隔で運転されているようです。

写真12. 国鉄の駅だ!

ちゃんと駅が営業しているようです(写真12)。

写真13. かわいらしい駅舎

このような駅舎もあるようです(写真13)。しかし、閉まっていました。この駅舎は現在は使われていないようです。

写真14. 駅舎から線路を見る

せっかくなので、駅舎の横から線路を見てみましょう。やはり右手に駅が見えます(写真14)。さきほどの道路からホームに入る必要があるようです。

チェコ国鉄に見る日常

そんなわけで、Praha-Hostivař駅に立ち入りました。私はチェコの24時間を持っています。問題は、その24時間券で国鉄に乗れるかどうかです。地球の歩き方先生には、「国鉄に乗れる」とも「国鉄に乗れない」とも書いていません(誰もそんなことに関心がないためでしょう)。使えれば良いし、使えなければ罰金です。困りましたね。

そう困った私は1つの解決法を見い出します。そう、プロフェッショナルに聞くことです。窓口があるので、そこで聞いてみましょう。
私「Can I use this ticket?」
この際、文法だのアクセントだのは無視です。拙い英語でも伝われば良いのです。
駅員「○×☆△!~」

ここはチェコです。アメリカやイギリスではありません。チェコ語で返ってきました。英語がわからない駅員だったのです。英語がわからない駅員とチェコ語がわからない観光客(観光客はこんなところに来ないけど!)の会話が始まりました。駅員は刻印の時刻を見て使えるという趣旨の説明をしてくれました(のでしょう)。「使えない場合はチケットを買え」と言われることでしょう。刻印の時刻の話ばかりしていたので、使えるエリアにいると判断しました。

けっこう高齢の方でした。きっと社会主義時代に教育を受けた方でしょう(余談ですが、ドイツ語でも答えてくれました)。そのため、敵陣営の英語に関して教育を受けていないのです(ドイツは味方陣営-東ドイツ-がありました)。それでも何とか会話が成立しました(とします)。

写真15. 美しいとは言い難い構内階段

構内の階段はあまり美しいとは言い難いものでした(写真15)。荒廃しているというか…。

写真16. もうくるよ!

たまたまですが、私は着いたときはちょうど電車が来るタイミングでした(写真16)。

写真17. チェコ国鉄の通勤電車(塗装がチェコ国鉄ですね)

チェコ国鉄の通勤電車です(写真17)。これに乗ると、さらに郊外に出てしまいます。

写真18. 私の乗る電車

ようやくプラハ本駅に向かう電車がきました(写真18)。24時間券が有効かどうかわからないまま乗り込みます。さきほどの駅員との会話で大丈夫だろうと推定していましたが、やはり不安です。これで検札がきたらどうしよう、とビビっていました。車掌は近くにいました。

すると、車掌がチェコ語で何かを発しました。わからないので無視を決め込んだのでしたが、その直後に「Ticket please」と言われてしまいました。そこで、24時間券を見せたら、「Thank you」と返答がありました。やはり24時間券はプラハ市内のチェコ国鉄でも使えるのです。私が正式な乗客として認められた瞬間です。車掌はアジア人から罰金を徴収しようとしていたようですが、残念でしたね。

写真19. 線路が多い!

ヨーロッパの鉄道は日本の鉄道よりも線路が多い印象があります。さまざまな迂回路が整備されたりしているのです。プラハも同様の印象です。オーストリア帝国時代にある程度建設がなされたのでしょう。

写真20. 美しい民家の脇を通る

このような風景もあります(写真20)。

写真21. チェコ国鉄の路線網

多くの観光ガイドには掲載されていないプラハ周辺の路線網です(写真21)。PHA-何とかという駅であれば24時間券を活用できるのでしょう。

写真22. 社会主義時代の団地の脇を通る

このような団地群も通ります(写真22)。国鉄の車内には観光客が見あたりませんでした。このような真のプラハを感じてプラハ本駅に着いたのです。荒廃しているように見え、夜間には立ち入りたくないというのが真のプラハの(私という一個人の)感想です。この後、再び観光ゾーンで「演出されたプラハ」を堪能したのです。

前後を読みたい!

プラハの観光名所を見てみましょう!以下のページにまとめています。見ないと損ですね…。

プラハ観光のまとめ(18年プラハ観光)

前後でこれらを観光しました。

←(前)プラハの新市街を楽しむ(18年プラハ観光)

(次)プラハのトラム・地下鉄の利用方法と実乗(18年プラハ観光)→

※別ウィンドウで開きます。

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