多くの国や都市に設置されている博物館。その対象は古代や中世のものがほとんどです。しかし、近現代の歴史も重要なものです。そんな博物館に行ってみました。
写真1. 建物は意外と新しい
復習:現代史の重要性と現代史のキーワード
まず、現代史について簡単に振り返ります。
現代史の重要性と冷戦
現代史は歴史の授業であまり顧みられない時代ではありますが、ある意味、私たちの生活に最も密接にかかわっている時代です。
現代という時代区分には多くの解釈がありますが、日本では戦後が現代史とされます(欧州では東欧革命以降とする分類もある)。
さて、その現代史の中心的なできごとは何でしょうか?これには多くの解釈があるでしょう。アジアやアフリカでの植民地からの独立などの項目を掲げる人もいるでしょう。その見解は間違いではないでしょう。しかし、個人的には冷戦と考えます。そう、現代史のキーワードは冷戦なのです。
冷戦は、第二次世界大戦後の世界を二分した西側諸国(アメリカ合衆国を盟主とする資本主義・自由主義陣営)と、東側諸国(ソビエト連邦を盟主とする共産主義・社会主義陣営)との対立構造。
wikipediaより引用
冷戦についての解説を引用しました。多くの人はご承知の内容ですが、いわゆる自由主義と権威主義の対立です。自由主義は市場を求めていましたし、権威主義(経済面では社会主義)は資本主義国家との境界付近で不具合が発生していました。そのため、両者は常に膨張を必要としていました。
また、考えかたが異なると、相手のことを必要以上に怖がることもあるでしょう。そうして、自由主義のアメリカと権威主義のソビエトは相いれない関係になったのでしょう。
冷戦の最前線:ドイツ
冷戦の両陣営の中心はアメリカとソビエト(と中国)です。そのため、アメリカに隣接するヨーロッパと東アジアが冷戦の最前線になりました。東アジアの最前線は日本と中国の境界、あるいは韓国と北朝鮮の境界でしょう。一方、ヨーロッパでは中央ヨーロッパが最前線となりました。とりわけ、ドイツ地区は戦前からの政府が崩壊したこともあり、「新しい国家」の樹立がなされた部分もあり、とりわけドイツそのものが最前線になりやすい側面もありましょう。
※第二次世界大戦ではアメリカとソビエトは共同戦線を張っていました。その証拠に一時的にアメリカ軍が占領した地域がソビエト軍に引き渡されたり、逆にソビエト軍が占領した地域がアメリカ軍に引き渡されたこともありました。これは両者にとってはもっと強い脅威があり、一時的に連帯した部分がありましょう。
そのような意味で、現代史を考えるうえでドイツのそれを把握することは非常に重要なのです。
ドイツ連邦共和国歴史博物館(Haus der Geschichte Bonn)
そんなドイツには現代史に限ったドイツ連邦共和国歴史博物館(Haus der Geschichte Bonn)があります。ドイツのボンにあります。このような博物館は首都、すなわちベルリンにありそうなイメージですが、現在の首都のベルリンからはるかに離れたボンにあります。「首都から離れた場所になぜ?」と感じるかもしれませんが、首都だからあったのでしょう。冷戦下では西ドイツの首都はボンにありました。
なお、ドイツ連邦共和国は1949年に建国された西ドイツの正式名称ですが、現在のドイツの正式名称でもあります。ご承知の通り、東西ドイツ再統一はかつての西ドイツが存続し、東ドイツの領土や国民を吸収したものです。したがって、かつての西ドイツと現代のドイツは同じ国家です。そのため、現代のドイツの博物館がかつての西ドイツの首都(ボン)にあることは何ら不思議ではありません。
- 料金:無料
- 営業時間:10時~18時(土曜・日曜、火曜~金曜は9時~19時)
- 定休日:月曜日
- 住所:Willy-Brandt-Allee 14 53113 Bonn
ボン中央駅からのアクセス
図1. ドイツ連邦共和国歴史博物館の位置(googleマップより引用)
ドイツ連邦共和国歴史博物館の位置を示しました(図1)。路面電車のHeussallee/Museumsmeileに直結しています。
図2. ケルンとボンの路線図(VRSの公式サイトより引用)
これで一目瞭然ですね!図が大きくてわかりにくい?
図3. ボン中心部の路線図(VRSの公式サイトより引用後に加工)
もう少し範囲をしぼりました(図3)。これで少しはわかりやすくなったでしょうか?
写真2. ボン中央駅から地下の電車に乗る
ボン中央駅から地下の電車に乗ります(写真2)。ケルンやボンの路面電車は中心部では地下を通ります。2系統に分かれますが、今回の場合はどちらに向かっても問題ありません。
写真3. 駅に直結の博物館
駅に直結しています。私は直結しているとは知らず、外から入りました。
写真4. ドイツ連邦共和国歴史博物館の入口
ドイツ連邦共和国歴史博物館の入口です(写真4)。
中身を堪能する
実際に中身を堪能しましょう!googleレンズの機能を駆使しましたが、いかんせんドイツ語での解説ばかりです。私の脳内知識で補足しながら進みましょう。そのため、私の解釈も入っていることをご承知おきください(弊サイトのいつものことですが)。
写真5. 博物館の入口
博物館の入口です(写真5)。
写真6. 大荷物を預ける
大荷物を預けます(写真6)。なお、ここは写真撮影が可能でした。
写真7. 展示部分に入る
展示部分に入ります。
写真8. 戦後の地図
戦後の地図です(写真8)。よくわからないですか?
写真9. ドイツの占領状態
1945年にドイツが敗戦した後の占領状態の地図です(写真9)。南部はアメリカ、北部はイギリス、西部はフランス、中部はソビエトに占領されています。さらに、ドイツ中部に位置したベルリンは4か国管理とされました。これは第二次世界大戦当初はアメリカ、イギリス、ソビエトはドイツという共通の敵を倒すための仲間であり、連帯を示すという意味もあったでしょう。ただし、(アメリカとソビエトはもともと価値観が異なっていたため)ドイツという共通敵が消滅した後は仲違いするのは時間の問題だった、と後世に生きる私たちは理解していますが、当時にそこまでの予知を求めるのは無理だったでしょう。
また、東部はポーランドとソビエト(のロシア共和国)に割譲されています(北東部は戦前ドイツの飛び地だった東プロイセンです)。多くの人が認識していない事実ですが、東西ドイツ以外にも分割されていたのです。
現代は東西ドイツ再統一、ポーランドのEU加盟によって分割された感覚は薄れているのでしょうが、東プロイセンの北部はロシアの飛び地になっており、NATO内のロシア領土(※)という別の厄介事のもとにもなっています。
※東プロイセンの北側はリトアニアであり、ソビエト時代はロシアと同じ国家でしたが、リトアニアも独立し、EUとNATOに加盟しています。
写真10. ヒトラー死の当時の新聞
ヒトラーが死亡したという当時の新聞です(写真10)。
写真11. 当時の住宅?
当時の住宅でしょうか(写真11)。この博物館、日本語はおろか英語の解説もなく、解読するのが大変です。
写真12. がれきの除去作業
戦争は終戦で終わりではありません。国家間の条約締結などで書面上では終わりですが、民衆はこのような後片付けをさせられます(写真12)。再建するという目的は資本主義も社会主義も変わりないのですが、その方法が違い過ぎたことが後に面倒ごとをかかえることになりました。
写真13. 最初の選挙
1946年~1947年の最初の選挙結果です(写真13)。重要なことは、この選挙そのものは(東部のポーランドやソビエトに割譲した地域を除き)ドイツ全土でなされたということです。
写真14. ベルリン封鎖とベルリン空輸
アメリカとソビエトは「連帯」のあかしとしてベルリンを共同管理していました。しかし、それは偽りの「連帯」であり、徐々に見解の相違が生じてきました。そこで、ソビエトはドイツの連合国管理地域とベルリンの連合国管理地域の陸路での移動を拒否しました。これがベルリン封鎖です。そして、ベルリンへの輸送は航空機でなされました。その輸送がベルリン空輸です(写真14)。
だいぶ狭い航空機で運んだのですね!
私は西ドイツと西ベルリンという表現を使いませんでした。これは、この当時は(もはや東西分裂は避けられないとはいえ)東西ドイツ成立前だったからです。
写真15. スターリンに関する展示
スターリンに関する展示です(写真15)。西ドイツという冷戦の最前線である以上、社会主義に対する言及を忘れていません。
写真16. 当時の風刺画
当時の風刺画です(写真16)。東ドイツがソビエトのオウム返しだったことを皮肉っています。
写真17. 民衆蜂起に対応するソビエト軍
東ベルリンでは民衆が蜂起しました。それを鎮圧するソビエト軍の戦車です(写真17)。
写真18. ソビエト軍の戦車
その戦車を横から眺めました(写真18)。この蜂起の原因は経済活動の深刻な問題と説明されていましたが、戦車をつくるお金があれば、経済活動の深刻な問題に取り組むべきだったのでは?国家予算の使用用途の精査の重要性を感じました。
最初の展示をていねいに見ていたので、頭が疲れ、後半はペースを上げてしまいました…。
写真19. 自動車が展示される
ドイツは自動車大国です。そんな自動車が展示されていました。
写真20. だいぶ小さい自動車
だいぶ小さな自動車です(写真20)。堅苦しい展示物だけでなく、このような展示もあります。
写真21. 壁の展示
壁と思われる展示がありました(写真21)。国民を閉じ込めるための壁です。だから、そこにつぎ込む国家予算を国民のために使えば良かったのに…。
写真22. 壁崩壊のころ
壁崩壊のころです(写真22)。このあたりは2018年にベルリンで多くの展示を見たので、今回はカットしましょう。これこそ旅のマトリックス図という概念です。
写真23. 伸びるEU
中央ヨーロッパで冷戦が終わり、EU加盟国が増えました(写真23)。東側諸国より西側諸国のほうが鉄道写真撮影に寛容なので、自由主義国が増えることは歓迎です。
写真24. 世界とつながるドイツ
現代のドイツは世界とつながっています(写真24)。これは日本も含めてのことです。人為的に国どうしのつながりを経つことは相互理解の不足をまねき、対立になりかねません(相手を知らないとより怖くなるのが一般的な傾向です)。そのような意味でパンデミックの「水際対策」は潜在的に大きなリスクを招く政策でした。自由な往来は平和のために重要と個人的には考えました。
ドイツ連邦共和国歴史博物館を訪問してみて
写真25. 博物館入口
ドイツ連邦共和国歴史博物館。現代史に特化した展示でした。現代に通じている以上、どうしてもいろいろと考えてしまうこともあります。これが昔の展示物が中心の博物館と異なる面です。中世や近世に関わる内容の展示物が多い場所は多くあります。一方、現代に焦点を当てた博物館は多くありません。近代以前よりも近代以降のほうが興味を持つ私には合致する博物館でした。
また、社会主義やナチス時代への批判もあり、ドイツ連邦共和国の立場がうっすらと見えます。特に無料である点は、(無料にしてまでも展示物を見せたいという点を考慮すると)ドイツ連邦共和国が特に主張したい意図もありましょう。スイスのシオン城(ベルン人に対して塩対応)でも同様の感想を抱きましたが、(特に社会現象を扱う)博物館には意図があります。博物館の展示物を理解しつつ、隠れた意図を読み取ることも重要と思いました。