鉄道ジャーナルの休刊に思う

記事上部注釈
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老舗鉄道雑誌の鉄道ジャーナル。そんな鉄道ジャーナルが休刊を迎えます。それに対し、個人的な思いをつづりました。

写真1. 最終号の鉄道ジャーナル表紙

社会派としての位置づけだった鉄道ジャーナル誌

写真2. 小田急線複々線化時の詳細な運行体系が記されていた(2018年6月号より撮影)

鉄道雑誌はいくつか発行されていますが、それぞれに特徴がありました(というよりも特徴がないと生き残れない)。鉄道ジャーナルは「鉄道の将来を考える専門情報誌」と自らを位置づけており、いわば社会派の鉄道雑誌として君臨してきました。

総合交通体系のなかで鉄道はいかにあるべきか、ということに力点を置いていたように見えました。単に「○○系がA線からB線に転属しました」という表面的な事象をなぞるのではなく、それにともなう輸送体系の変化に力点を置いていた印象です。

他方、このような「評論」は事実を解釈する以上、解釈する側のフィルターが入ることも事実です。その典型例がクロスシート賛美でしょう。かつての鉄道ジャーナルはロングシート車両を必要以上に批判していたように見えることも事実です(朝の通勤時にクロスシート車両に乗ることがありますが、意外としんどいです)。

「総合交通体系で鉄道はこうあるべき」という思いが強ければ強いほど、フィルターは強くなります。そして、その強いフィルターを嫌がる人もいたでしょう。それに応えるべく、フィルターを外し、年々強みの特徴を失ってしまったようにも見えます。

近年はその方向性に自信をなくしていたようにも見えますが、いずれにせよ輸送機関としての鉄道を意識した鉄道雑誌でした。

趣味の教科書としての雑誌

写真3. 列車追跡シリーズで異色の料金不要列車の新快速

私と鉄道ジャーナルの関わりについて簡単に記します。

現場重視の「趣味の教科書」

雑誌の立ち位置としては、「ちょっとお堅い」でした。そのなかで私の眼にとまったのは、列車追跡シリーズでした。実際に列車に乗り、車内の様子、混雑率はもとより、乗客や乗務員の声を拾うという構成でした。

「新快速は120km/hまで出すけど、この銀色のやつは130km/hでも走れるで」

鉄道ジャーナルNo391号(1999年5月号) p26(列車追跡シリーズ 新快速の快速走行を堪能する)より引用

ほかの鉄道雑誌は車両の紹介や机上のデータ紹介にかたよるなか、鉄道ジャーナルの現場重視の姿勢は私の心に響きました。

後年、プライバシー重視の社会情勢に徐々に変化したことで乗客の声を拾わなくなったり、乗客の顔を前面に出さない傾向に変わったりしました。それでも、実際に乗客の多寡を示したり、必要に応じ会社側からの補足情報を示したりと、現場重視の姿は維持されていました。

現場での状況を基に、輸送機関としての理想像を探るという姿勢(担当によってそれがじゅうぶんになされていたかは別の話です)は、私にとって鉄道趣味の教科書となりました。個人サイトでも鉄道ジャーナルのようなものを、と考え、本日までサイトを運営してきました(果たしてそれが実現しているか?は別の問題です)。

また、鉄道趣味を広げる1つのツールでもありました。以下、私の鉄道趣味を広げる2つの特集を紹介します。

2001年4月号:特集 列車ダイヤ大研究

写真4. 2001年4月号の表紙

鉄道ダイヤ関連は鉄道趣味の1つの分野です。しかし、その内容を初心者にわかりやすく示すことはあまりありません。その世界にいざなう特集でした。鉄道ダイヤといっても多くの路線がありますが、中央線快速電車を中心に紹介していました(このほか、名古屋や福知山での接続についても取り上げています)。

とりわけ印象に残ったのは、JR系のツーセクションクリアという考えでした。民鉄系は追い抜きの際に先行列車が次の閉塞に入った段階(注意信号)で後続列車を発車させるのに対し、JR線はその次の閉塞に入った段階で後続列車を発車させる(2つの閉塞-セクション-を空ける)という考えです。貨物列車が運転されるというのがその理由と説明されていました。

私の趣味に鉄道ダイヤが加わった決定的な特集でした。

2015年2月号:特集 相互直通運転半世紀/ドイツの鉄道

写真5. 2015年2月号の表紙

表紙は引退間近の北斗星です。私はすでに興味を持っていた相互直通運転を目当てに買いましたが、印象に残ったのは第2特集の「ドイツの鉄道」でした。昔からヨーロッパ地区の鉄道に多少の興味はありましたが、本格的にドイツの鉄道に興味を持った決定的な特集でした。

これに続き、周辺各国の特集が組まれると期待しましたが、それは私の期待で完結しました。ドイツやフランスなどであれば、一定の人気は見込めますが、そのほかの国はそこまで人気が高くなく、ある程度の発行量が必須な出版業界にそぐわないという判断だったのでしょう。

鉄道ジャーナル休刊で失うもの

写真6. 列車追跡シリーズの海外版ともいえるICE952のレポート

大前提として、鉄道ジャーナル休刊はいち出版社の経営判断であり、部外者がとやかく言うことではありません。いわば、あまたあるお菓子の廃盤とある意味等価です。しかし、私にとっては鉄道趣味の教科書が消失することであり(自宅にあるバックナンバーや古本等での流通はあるので、休刊後即日で消失するわけでないが)、あまたあるお菓子の廃盤と意味合いが全く異なります。

雑誌の特徴は、興味の薄い内容であってもそれがセットになることです。それは興味を広げるチャンスです。その視野を広げるチャンスが減少することが確実となりました。

他方、ウェブには多くのコンテンツがあります。しかし、ウェブは興味のある内容がピンポイントで入ってくるため、趣味の広がりのきっかけとしては弱いです。また、鉄道雑誌は会社として取材しているため、鉄道会社とのパイプもあり、そこでの取材による鉄道会社からの情報という側面もあります。しかし、ウェブコンテンツの多く(弊サイトも含まれます)は、乗客としての立場からしか語れません。そのような意味で、鉄道雑誌の一角が消失することの鉄道趣味への影響は大きいです。

また、「社会派としての趣味」の教科書がなくなります。これは、そのうちに「社会派としての趣味」という分野が減衰する可能性もありましょう。

現にウェブコンテンツの多くは、趣味としての鉄道、という側面が強いと感じます。もちろん、鉄道趣味やサイトの方針は各個人の判断であり、外部である私がとやかく言う立場にありません。それでも、ウェブコンテンツの変質にも鉄道趣味の変質を感じます。

ただし、これは逆の側面かもしれません。「社会派としての趣味」の割合が減った結果、それを先導してきた鉄道ジャーナルの役割が終わったという評価もできましょう。

私は1997年7月号(日本の特急電車40年)から、内容に応じ、断続的に鉄道ジャーナル誌を新刊で購入してきました(特集によっては買っていない)。私がちゃんとした鉄道ファンになったかは別問題ですが、28年間育てていただきました。そして、弊サイトという形で微力ながら貢献している心づもりです。これからもこのような出版物が発行されることを願っています。

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