常磐線各駅停車。そのほとんどが我孫子までの運転ですが、その一部は取手に発着しています。2021年現在、地下鉄の車両が北関東に発着する唯一の駅でもあります。しかし、その常磐線各駅停車の様子が2021年のダイヤ改正で変化します。変化前の状態を探りました。
写真1. 取手の駅名標と各駅停車の車両
復習:常磐線各駅停車の運転形態
さて、ここで常磐線各駅停車の運転体系について軽くおさらいしましょう。
図1. 常磐線の運転系統
常磐線の運転系統は大きく分けて2つあります。1つが上野発着の快速(※)、もう1つが千代田線直通の各駅停車です。上野発着の快速は、北千住-我孫子で通過駅があります。その通過駅をフォローするのが千代田線直通の各駅停車です。
※現在は上野からさらに都心に便利になるように、「上野東京ライン」を通って品川に発着する便もありますが、品川発着便であっても上野を通ることには変わりません。そのため、本記事では簡単のために上野発着と表現します。また、快速は取手以北では「普通」と称しますが、各駅停車との並走区間では「快速」と呼んでいます。そのため、本記事では簡単のために快速と表現します。
その各駅停車は快速とは独立した線路を通り、各駅停車の多くの電車は地下鉄千代田線に直通します。つまり、運転系統として眺めると、千代田線と一体化しています。
では、その各駅停車としての線路はどこまで続いているのでしょうか。多くの人は「我孫子行き」を見慣れていることでしょうから、我孫子までというイメージがあるかもしれません。確かに1971年から1982年まではそうでした。しかし、1982年には取手までその線路は延長されています。つまり、各駅停車の線路は取手まで伸びています。
さて、もう1度路線図を眺めてみましょう。我孫子から取手は間に天王台があり、この天王台は快速が停車します。我孫子-取手はそう利用が多い区間ではありません。そのため、基本的に我孫子-取手に各駅停車は運転されず、乗客の多い朝と夕方に取手発着が運転されるのみで、他の時間帯は運転されません。
ここで乗客の多い朝と夕方と書きました。しかし、休日の朝と夕方はそこまで乗客が多いわけではありません。そのような事情を鑑みて、休日の取手発着の各駅停車は廃止の憂き目にあったのです。そうはいっても、我孫子-取手では終日快速が運転されていて、そこまで不便になることもありません。
1982年に取手駅は地下鉄の電車がやってくる駅となりました。1982年以降、東京の地下鉄はさらに充実していますが、2021年になるまで地下鉄の電車(※)は北関東3県にはやってきません。そのため、2021年になってもなお取手駅は「北関東で唯一地下鉄の電車がやってくる駅」というオンリーワンな地位を占めてます。
※東武鉄道は地下鉄の直通電車を臨時で館林や太田まで運転していたこともありました。しかし、当該の電車は東武車で「地下鉄の電車」ではありません。また、取手にやってくる地下鉄の電車と異なり、定期列車でもありません。
実際の各駅停車の様子を確かめる
では、実際に各駅停車の様子を見てみましょう。マナーとしては、取手行きの始発駅から乗ることが基本です。例えば、565Eは本厚木から運転されています。この電車の始発駅から乗るとしたら、本厚木を5:48に出発し、取手に到着するまでの2時間6分を堪能するということです。
写真2. 回送電車がやってきた
そんなことを考えながら、松戸で電車を待っていました。すると4番線に回送電車がやってきました(写真2)。休日の日中時間帯は10分間隔で運転されていますが、その10分間隔の間にやってきます。
写真3. 各駅停車取手行きに変わった
表示が各駅停車取手行きに変わりました(写真3)。そう、この電車は松戸始発の取手行きです。我孫子発着に取手発着が混ざると、我孫子-取手の往復14分ぶんが加わるので、運用に必要な電車が増えます。その調整のために松戸始発取手行きが運転されているのです。ダイヤ改正後は全区間削減となる運用でしょう。
写真4. 車内表示も取手行き
車内表示も取手行きです(写真4)。北柏までしか表示されていないので、レア感は薄いですね…。ただし、我孫子・天王台・取手に向かうのであれば、隣のホームの快速が便利なのですが…。
写真5. こちらだと取手まで表示
こちらだと取手まで表示されています(写真5)。通常10分間隔のところ、前列車間隔が6分しかありませんので、車内はガラ空きのまま進みます。
写真6. 我孫子で6番線に停車!
我孫子で6番線に停車します(写真6)。向かいの7番線に上り電車がとまっています。平日の朝ラッシュ時には6番線に上り電車、7番線に下り電車(我孫子始発取手行き)がとまっている運用が過去にはあったように記憶しています。そんな例外を除き、我孫子では7番線と8番線は上り電車しか発車しません。
写真7. 我孫子を発車!
ここまではダイヤ改正後も運転が継続する区間ですが、我孫子から取手は休日の運転が取りやめになります。そこで、前面展望を満喫することにします。我孫子を発車します(写真7)。
写真8. 成田線が分岐する
成田線が分岐する(写真8)。右に潜っていく線路がありますが、この線路は各駅停車の下り線と快速の上り線をくぐって車両基地につながる線路です。
写真9. 右にカーブする
右方向にカーブします(写真9)。このカーブを除けば、我孫子から天王台まではほとんど直線です。
写真10. 左に車両基地が見える
左に車両基地が見えます(写真10)。快速の下り線はこの車両基地を避けるために各駅停車の下り線よりもカーブが多いです。余談ですが、このあたりは道が入り組んでいます。行けそうな場所に行けなかったりすることが多いので、道に詳しい人以外は国道や県道以外に入らないほうが良いでしょう。
写真11. 車両基地に快速用の車両がとまっている
車両基地には快速用のE231系がとまっています(写真11)。各駅停車用の車両以外にもとまっているのです。ただし、中距離電車用のE531系は配属されていません。夜間に我孫子発着の中距離電車が停泊しているのでしょうか。
写真12. 小田急車も停まっている
小田急車も停まっています。効率の高い運用のためには相互に車両基地を融通することも重要でしょう。2016年ダイヤ改正前には見られない光景です。たしか1990年代には営団車が入庫している場面はほとんどなかったはずです。
写真13. 天王台が見えてきた
天王台が見えてきました(写真13)。天王台の南側は天王台という地名がありますが、天王台駅そのものは我孫子市柴崎台に位置します。
写真14. 天王台に停車!
天王台に停車します。39年に及ぶ取手発着の各駅停車が部分的ながら廃止されることもあり、「葬式鉄」の大量発生が懸念されていましたが、そのようなことはなさそうです。
写真15. 天王台を発車!
天王台を発車します(写真15)。ここから「葬式鉄」が大量に乗りこんでくる可能性も予想していましたが、現実には鉄道に関心のなさそうな利用客が1人乗ってきただけでした。
写真16. ぐいぐい曲がる
天王台を発車するとカーブが現れます(写真16)。常磐線は基本的に南北方向に向かう路線ですが、例外的に我孫子市内では東西方向に伸びています。それを南北方向に是正するためにカーブするのです。
写真17. ぐいぐい曲がる
まだカーブは続きます(写真17)。このあたりは天王台開業後に開発された住宅地と聞いています。
写真18. ぐいぐい曲がる
カーブが終わるあたりは、線路の西側は住宅街、東側は田園風景です(写真18)。線路の西側には「南青山」という地名の場所もあります。合コンで「天王台に住んでいる」というのではなく、「南青山に住んでいる」というとモテモテだね!
写真19. 鉄橋が見えてくる
鉄橋が見えてきます(写真19)。利根川を渡る鉄橋です。この川が千葉県と茨城県の境界です。
写真20. いよいよ鉄橋に入る
いよいよ鉄橋に入ります(写真20)。この光景は並行する国道6号線から眺めたほうが、迫力あるかもしれません。
写真21. 鉄橋に入った!
鉄橋に入りました(写真21)。しかし、鉄橋に入ったあたりで速度は落ちてしまいます。
写真22. 利根川を眺める
利根川を眺めます(写真22)。昔からある自然の光景、そう感じる人もいることでしょう。しかし、このあたりの利根川は江戸時代に掘られたものであり、完全な「自然」ではありません!
写真23. 鉄橋の出口
鉄橋の出口です。鉄橋を出ると、もうそこは取手の市街地です。
写真24. 渡り線を渡る
渡り線を渡ります(写真24)。終着駅であることや渡り線を渡ることから、取手の進入速度は遅くせざるを得ません。そのために鉄橋の途中で速度が落ちていたのです。
写真25. 1番線に進入!
取手駅は最も東側の1番線に進入します。
写真26. 折り返し各駅停車成城学園前行きに
折り返し各駅停車成城学園前行きに変わります(写真26)。多くの人がこの電車を乗りとおすことはないでしょう。しかし、直通することで便利になる人は少なからずいることでしょう。
取手発着の常磐線各駅停車の本数の推移
さて、最後に、取手発着の常磐線各駅停車の本数の推移を見てみましょう!私が所有している東京時刻表で最も古い、2001年7月号、最も新しい2020年ダイヤ改正号、そしてその間の2010年7月号から抜粋しました。
表1. 取手発着の常磐線各駅停車の本数の推移
時点 | 平日 | 休日 | ||
---|---|---|---|---|
朝 | 夕方 | 朝 | 夕方 | |
2001年7月 | 13本 | 11本 | 5本 | 10本 |
2010年8月 | 13本 | 11本 | 5本 | 10本 |
2020年3月 | 13本 | 11本 | 5本 | 10本 |
みごとに本数が変わっていません。平日24往復、休日15往復体制は全く変わっていません。それだけ我孫子-取手の着目度が低く、今回の「コスト削減」を意識したダイヤ改正まで全く手を付けることがなかったことがうかがえます。
なお、2010年ダイヤでは平日の我孫子始発取手行きは1日3本ありますが、2020年ダイヤ改正では1日1本に減少してます。これは残りの2本が我孫子行きと我孫子始発が直通化したということです。手元の東京時刻表を眺めると、2013年4月ダイヤ改正時点では我孫子始発取手行きは3本あり、2015年4月ダイヤ改正では1本に減っています。
この間の2014年4月ダイヤ改正(=常磐線各駅停車の日中時間帯10分間隔化)のタイミングで直通化した可能性が高いと思いますが、詳しいことはわかりません。
休日の取手発着の各駅停車の廃止に思う
正直、休日の取手発着の各駅停車は空いており、廃止は時間の問題とも思っていました。しかし、建設の経緯や天王台の意向など多くのしがらみがあり、なかなか廃止できなかったのでしょう。今回の新型肺炎ウィルスの脅威により、従来のしがらみを振りほどくことができた一面もありましょう。
そして、いわゆる「葬式鉄」さんがいらっしゃらないことにも驚きました。廃止まで1か月を切ったときに向かったので、感極まってむせび泣くファン、ベストな撮影ポイントをわれ先にと争う人々、こうした無秩序を取り締まる治安部隊の動員も覚悟のうえで臨みました。現実はそのような動きは全くなく、肩透かしを食らった印象もありました。
このような利用状況で複々線は意味がないインフラととらえることもできます。朝と夕方のみの直通であれば、我孫子の配線を工夫することにより、快速線に各駅停車を運転する(列車が詰まっている朝ラッシュ時でも成田線直通の穴にねじ込むことは可能)ことで、我孫子-取手間の緩行線の建設という余計な設備投資をしなくて済んだという観点も認めらます。
このように、適切な社会インフラの規模を正確に予測するということがどれだけ難しいのか、を実感させられる1つの事象と感じたのです。
コメント
確か複々線開業により快速の天王台通過をさせる予定でしたが、天王台にある某大手企業の猛反発に合い、計画を断念して現在のほぼ意味のない快速継続停車&緩行の朝夕のみの運用になったとか。
通りすがりさま、コメントありがとうございます。
通りすがりさまのコメントの通り、当初は快速は天王台を通過させる予定でした。しかし、快速の天王台通過によるスピードアップ享受は取手のみ(中距離電車の天王台停車はその6年後の1988年ですので、中距離電車の速達性には関係ありません)であり、我孫子-取手の輸送量は複線でも対応可能という点からして、当初の計画じたいに疑問を感じずにはいられません。
とはいえ、当初の計画時点では取手駅周辺は現在よりもさらに発展すると予想されていたとも聞きます。その予想が的中した場合、「なぜ取手まで複々線にしなかったのだ?」という批判があったかもしれません。
そのようなことを考えると、適切な規模な社会インフラを整備することは非常に難しいことを実感いたします。
こんにちは
天王台駅は、開業時まだ複線で、ホームは現在の緩行線の位置にあり、現在の快速線が南側に少し回り込む形の配線になっていました。
停車する列車は、ほぼ全てが上野か取手行きで、千代田線直通列車は1本も無かったと思います。
上記にもある通り、当初計画では丁度北柏駅のように、複々線建設時は快速線にはホームを設けず、快速や長距離列車は通過する筈でしたが、紆余曲折の末現在の形になりました。
因みに、地元我孫子市では、成田線我孫子支線の複線化と共に、写真17〜18の辺りの緩行線に「日の出駅」(仮称)設置の請願がありますが、一向に実現しませんね。
たけちんさま、コメントありがとうございます。
コメントの通りですが、時系列は以下の通りですね。
1) 上野発着の各駅停車が運行される
2) 輸送力で複々線化。これに伴い、上野発着は快速相当に。各駅停車は千代田線直通(1971年4月20日)。
3) 天王台駅開設。当時は我孫子-取手は複線のため、各駅停車乗り入れずに快速停車(1971年4月20日)。
当初の狙いは我孫子-取手間複々線化の際に快速通過でした。しかし、天王台利用者は2)で上野発着から千代田線直通に変更された各駅の様子を眺める時間があり、乗りかえはあまり便利ではないことから、天王台利用者が反対したのですね!
余談ですが、天王台は成田線方面のバスが多く(我孫子-天王台の道路幅は広くなく、電車より時間がかかる)、成田線の本数の少なさをカバーしていますね。