湘南新宿ラインの前身:中距離電車の池袋・新宿乗り入れ

湘南新宿ライン上下並び
写真1. 現在の湘南新宿ライン

現在、首都圏の主流となっている湘南新宿ライン。この路線の歴史は意外と浅いです。また、他の路線の線路の間借りを行っているという意味でも、非常に新しいタイプの路線です。ここでは、そんな湘南新宿ラインの歴史について探ってみましょう。


埼京線の登場

埼京線池袋

写真2. 現在の埼京線

埼京線は湘南新宿ラインの兄弟のようなものです。そのような背景があるので、埼京線のあらましを改めて振り返りましょう。
もともとの路線の池袋-赤羽、新線の赤羽-大宮をまとめて、埼京線と称しました。これらを合わせた池袋-大宮を埼京線と称したのです。これらの運転系統となったのは、1985年のことでした。埼京線の始発は長い間新宿でしたが、この時点では池袋が始発でした。そう、最初の埼京線の始発は池袋だったのです。

池袋と新宿を比べてみましょう。池袋はもちろん魅力的な街ですが、当時発展の速度がはやかったのは新宿でした。その新宿に直結したほうが埼京線は最強になることでしょう。そのような掛け声があったのかはわかりませんが、翌1986年に埼京線の起点が新宿に変更されたのです。このとき、新宿-池袋は専用の線路を使用しませんでした。既存の山手貨物線を活用したのです。このとき、貨物線を旅客列車が利用するという概念が成立したのです。この点が湘南新宿ラインの考えの基本となります。

山手貨物線(巣鴨)

写真3. 山手貨物線(巣鴨、奥に見えるのが貨物線)

山手貨物線※1とは何でしょう?そう思った人も多いことでしょう。山手線(田端-品川)で山手線に並走する線路のことです。例えば、巣鴨で山手線のホームの横に存在する線路があります(写真3)。この線路が山手貨物線なのです。当時は貨物列車の本数が減少していたので、貨物線に旅客列車が走っても問題なくなったのです。
※1. 正式には山手線の貨物線ですが、ここではいわゆる山手線と区別するために山手貨物線と称します。

中距離電車の池袋発着

埼京線が山手貨物線を活用したのですが、山手貨物線の全てを活用したわけではありませんでした。池袋より北側の区間(その区間にあるのが写真3ですね)はじゅうぶんに活用されませんでした。

そんな中、1987年4月を迎えました。国鉄からJRに変わったのです。JRになったら、新しい組織がスタートしたことを世の中に示したいものでしょう。そこでJRは1988年3月ダイヤ改正で、手っ取り早く実行できる宇都宮線・高崎線の池袋発着をスタートさせました。これを湘南新宿ラインの前身とみることができるでしょう。

新宿がどんどん発展している時代、そして池袋や渋谷も副都心として発展している時代でした。副都心の一角の「池袋」から宇都宮線や高崎線が出発することはとてもインパクトがあったことでしょう。今までは上野が始発だったのですから。この目的には、混雑の激しい埼京線の池袋-板橋間の混雑緩和というのもありました。

なお、この運転に合わせて、池袋に1番線と2番線が増設されました。宇都宮線や高崎線のホームを設置するためです。現在とは異なり、池袋のホームは埼京線と湘南新宿ラインでホームが異なっていました。当時は池袋から新宿に向かうのは埼京線だけであり、新宿方面に向かうのに埼京線と宇都宮・高崎線でホームが異なるという問題点は生じなかったのでしょう。

ただし、朝こそ約20分間隔(両者合わせて約10分間隔)となっていましたが、日中時間帯は毎時1本(両者合わせて毎時2本)という本数であり、主要ルートとしての役割はありませんでした。それでも、空いた線路を活用して新しい系統を創設するという流れをつくった大きなできごとでしょう。宇都宮・高崎線側の様子はこのまましばらく続くことになります。

さて、宇都宮・高崎線側から見た湘南新宿ラインの前身ですが、東海道線側はどうなのでしょうか?

東海道線列車の新宿乗り入れ

前回の記事で中距離電車の池袋乗り入れについて述べました。さて、JR化直後の南側の事情はどうなのでしょうか?ここで見ていきましょう。

実際は、通常の中距離電車が新宿に乗り入れることはありませんでした。1988年に湘南新宿ライナー(現在のおはようライナー新宿、ホームライナー小田原に相当)の2往復が新宿に乗り入れました。また、同年に踊り子の1往復が池袋発着とされました。つまり、南側から新宿に乗り入れる列車は全て料金が必要な列車だったのです。

北側と異なり、新宿発着の中距離電車が設定されなかった理由はいろいろと考えられますが、以下の理由があったのだと思います。

1) 蛇窪(横須賀線と湘南新宿ラインの分岐点とご認識ください)が平面交差であり、多数設定するには運転上のリスクが大きいこと
2) 東海道線(あるいは横須賀線)の流動の多くは東京方面に向いていたので、わざわざ新宿方面へ列車を設定する必要性が薄かったこと
3) 渋谷から横浜へは東急東横線、新宿から藤沢や小田原へは小田急線がすでに伸びており、これらのテリトリーを侵食するつもりはなかったこと

要は、需要が少なく、運転上のリスクも大きく、他の鉄道のテリトリーを侵食するためということです。この状況は2001年12月の湘南新宿ラインの運転開始まで大きく変化するものではありませんでした。

新宿に進入する湘南新宿ライン

写真2. 新宿にこの形式がやってくるのはずっと先

埼京線の恵比寿延長

このときまでは、山手貨物線にホームが存在するのは、新宿と池袋だけでした。つまり、東海道線(あるいは横須賀線)から新宿に直通したとしても、新宿までの途中駅には停車できないことを意味していました。この事態が変化するのは、1996年の埼京線の恵比寿延長でした。つまり、渋谷と恵比寿に停車できるようになったのです。

ただし、この時点では渋谷・恵比寿ともに10両編成対応のホームであり、10両編成の埼京線はともかく、15両編成の東海道線は停車できない状態でした。これでも山手貨物線にホームが設置されたことは、後の湘南新宿ライン設定に生きることとなるのです。

宇都宮・高崎線の新宿乗り入れ

1988年に宇都宮・高崎線が池袋に乗り入れました。これから7年間は両線の新宿乗り入れが実現することはありませんでした(※1)。1995年になって、わずかな本数でありますがようやく宇都宮・高崎線の新宿乗り入れが実現することになりました。夜間の一部列車が新宿発着とされたのです。これは新宿-東京で有数の、いや日本でも有数の繁華街-の性質に合わせたものかもしれません。つまり、夜間に新宿に用がある(ここではその用の中身については触れません)人の帰宅に合わせた性質と考えられます。私の手元の時刻表(1997年3月号)を眺めてみますと、土曜、休日は運休となっていました。

※1. 厳密にいえば、高崎線を経由する快速ムーンライトえちごは新宿発着でした(このときは定期列車です)。ムーンライトえちごはJRになった後に設定された列車です。従来の上野発着ではなく、新宿発着となったことは国鉄時代であれば考えられなかった発想でしょう。

1997年3月時点では新宿発で以下の列車が運転されていました。

宇都宮線
新宿発 21:53(小金井行き)、22:54(小金井行き)

高崎線
新宿発 21:37(籠原行き)、22:07(籠原行き)

これで湘南新宿ラインが設定される前の歴史、いわゆる前史についてまとめてみました。私が前史を書いたのは、細かな内容を述べるというよりも湘南新宿ラインを設定する下地が整いつつあることを述べたかったのです。


シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする