ありがとう!国鉄色特急車の展示

国鉄特急色の引退を記念して、巣鴨駅で展示が行われています。ここでは国鉄特急色の歴史を振り返りつつ、巣鴨駅の写真の一部をお見せしましょう。そして、このカラーに込められた理念がどうなったのかをまとめましょう。


国鉄特急色の誕生

写真を掲示するだけでは芸がありません。国鉄特急色の歴史を簡単にまとめましょう。そもそも国鉄特急車色がデビューしたのは、1958年10月の「こだま形」誕生のときです。当時の新型車両の20系電車(※)によるビジネス特急こだまが誕生した際に、明るい昼間の旅の楽しさを強調できる目立つ色により、近代的な特急のイメージを創りだすというポリシーで当時のカラーが誕生しました。当時の最新のイメージがこの色にはこめられたのです。当時の西ヨーロッパで話題のTEEのデザインを見習ったのかもしれません。

※当時はまだ151系電車と呼んでいませんでした。よく知られる151系電車という型番に変化したのは、1959年のことです。

当時の20系電車が画期的な面は以下に挙げられることでしょう。

・長距離列車としては当時の常識を打ち破り、電車方式としたこと
 ※当時の常識では長距離列車は機関車+客車というものでした。ドイツ、スイスやイタリアを除くヨーロッパでは現在でもそうです。

・世界初の浮床構造を採用
 ※電車=うるさいという懸念点を少しでも軽減させるための策と考えられます。浮床構造は、床材(客席から見える部分)と構造上の床(建築物でいう下地)の間に防振材を配置して振動を軽減する構造と理解しています。

151系の先頭部

写真1. ボンネットスタイルを採用した20系(151系)電車

・ボンネットスタイルを採用(写真1)
 ※機械を客室から離して少しでも静かな車内にするための策と考えられます

このように、当時としては画期的な車両をイメージする色がこのような色だったのです。

国鉄特急色の新鮮味の衰退

当初、東京-大阪のみ運転していた「こだま形」ですが、「東京-大阪だけではずるい、うちの地元にも!」という声が当然挙がることでしょう。そのような声に応えて、同様の車両が全国に普及していきました。当初、「新鮮でナウい車両」と思われた色が「ありふれた車両」を象徴する色になってしまいました。これに一石を投じたのは特急踊り子でしょう。当時の標準色ではなく、斜めストライプをまとった車両になりました。

美しい185系踊り子

写真2. 国鉄特急色に一石を投じた185系電車

当時としては画期的なことだったでしょう(写真2)。余談ですが、185系はリニューアルを機に新塗装となりましたが、2014年ごろから元のストライプ塗装に戻っています。この写真を撮影した2018年冬はみんなこの色ですね。

国鉄がJRになった頃から「ありふれた車両」を象徴する色から独自の色に塗り替えられました。

381系やくも

写真3. ゆったりやくもに変身した381系電車

独自色に塗り替えられた車両は多くあるでしょうが、ここでは私の手持ちの写真から示します(写真3)。独自のカラーに塗り替えられたやくも号です。

国鉄特急カラーの復権と終焉

JRになって30年近く経つと、各地方にJR型の車両が投入されます。そして、古い車両は主戦力から外れます。その結果、国鉄型車両は臨時列車に運用される機会が増えていきます。この頃になると、元の国鉄カラーは「ありふれた車両」ではなく、「懐かしくて珍しい車両」を象徴するものとなります。また、臨時列車となると独自のカラーということも難しい事情もあるのでしょう。そのため、国鉄型車両は懐かしいカラーを塗装するようになるのです。ここには、鉄道ファンからせっせと小金稼ぎをしようというしたたかさもあるのかもしれません。このような事情から、国鉄特急カラーをまとった車両がしぶとく残ったのです。国鉄末期に製造された車両を除いて、ほぼ国鉄特急型がなくなったので「日本最後の国鉄特急色 終焉、189系 豊田車引退へ。」ということになりました。
※ゆったりやくもが突然「国鉄メイク」に先祖返りしたら面白そうですね!

巣鴨駅に飾られた昔の栄光

豊田のM51が引退した記念(と言って良いのでしょうか?)に巣鴨駅にポスターが掲示されました。ここでM51編成の経歴が紹介されていました。

1) 信越線の「あさま」用に製造され、長野行新幹線開業時まで活躍する
2) 余剰になって状態の良い車両は、同じ長野県を拠点とする特急あずさに転用される
3) 中央線にE257系が投入されると、幕張、田町、大宮と転々とする(臨時列車用の車両)
4) 大宮で用済みになったら、今度は豊田の臨時列車用として転用される
5) E353系投入のタイミングで完全に引退を決意(房総からE257系がやってくるためでしょ?)

本当に転々とします。車両の需給の良い調整弁になっていたのでしょう。

写真4. 栄光の時代の写真

写真5. 栄光の時代の写真

写真6. 栄光の時代の写真

写真7. 栄光の時代の写真

写真8. 栄光の時代の写真

このように、M51編成が引退することで、1958年の「最新の技術を取り入れた」塗装はその姿を消します。ちょうど60年後のことです。しかし、20系電車で採用されたその理念(長距離を電車で運行する)は日本中に広まりました。そして、鉄道の元祖、ヨーロッパにもその理念は及んでいます。その基礎を体現したカラーはなくなるものの、別の色や形になれどこのような理念は生き続けるのです。

フランクフルトからベルリンへ向かうICE

写真9. 中央ヨーロッパにも広まった「電車特急」という概念(この列車は500km以上離れたフランクフルトとベルリンを結びます)


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