古いものへの人気
最近、古いものに人気が集まっています。例えば、昔ながらの車両への人気集中です。新潟地区の115系電車がその良い例です。東京には古い車両は存在せず、みんな新しい車両に代替されました。では、東京には古い面影は残っていないのでしょうか?答えは「否」です!それも東京第2位の利用者数を誇る「池袋」でその面影が見て取れます。
写真1. 6番線に残る古い乗り換え案内
山手線の6番線にこのような古い乗り換え案内がありました(写真1)。古い看板ですから副都心線について触れていないことはもちろん、有楽町線(新線)さえも触れていません。相当古い看板です。なお、この看板は7番線にはありませんし、1号車寄りにもありません。どうやらここ限定の看板のようです。
看板のなぞに迫る
ここで、この看板の2つの謎に迫ってみましょう。
a) いつごろ設置された看板なのか
b) なぜ、6番線にあって7番線にないのか
いつごろ設置された看板なのか
ここで、有楽町線の駅名に「銀座一丁目」とあることが眼につきます。銀座一丁目は有楽町線でもそこまで有名な駅ではありません。現代的な感覚ならば銀座一丁目ではなく「豊洲」や「新木場」が自然なところでしょう。また、池袋から西側(郊外側)の駅名が書かれていないことも気になる点です。有楽町線は当初、銀座一丁目-池袋の路線でした。この時代に掲げられた看板であれば合点できます。有楽町線が同区間を開業させたのが1974年です。
この後、1980年には銀座一丁目-新富町が開業し、1983年には池袋-営団成増(現地下鉄成増)まで開業しています。この時期に製作された看板であれば、看板に「新富町」や「成増」という駅名があるはずです。そのため、1979年までに製作された看板でしょう。つまり、この看板は1974年-1979年に設置された看板であることがわかります。
7番線にはない理由
これも推測でしかありません。乗り換えの看板は当然ながら、その駅で降りる人向けのものです。つまり、池袋で山手線から降りる人向けの案内と解釈できます。
6番線の電車は新宿方面からやってきます。すなわち、新宿方面からやってきた乗客にとってはこの看板は必要である、という判断がなされていると解釈できます。一方、7番線の電車は東京方面からやってきます。すなわち、東京方面からやってきた乗客には不要な情報である、という判断がなされたという解釈ができます。東京方面は有楽町線や丸ノ内線で行ける場所、つまり7番線にやってきた電車からは逆戻りする経路になるから不要である、と当時の国鉄が判断したのかもしれません。一方、新宿方面からやってきて、地下鉄で東京方面に向かう乗客はじゅうぶんに存在すると判断したのでしょう。
実は、7番線側の看板は外しており、6番線側の看板は外し忘れていた、だけというオチかもしれません…。