首里城を楽しむ!

記事上部注釈
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那覇観光の目玉の首里城。その首里城の概要を紹介するとともに、首里城を実際に満喫しています。火災で焼け落ちた場所は一部であり、そのほかの建物は現存しているのです。独特な雰囲気のある周囲も含めて散策しました。

写真1. 独特な建物が多い首里城

首里城の概要

まずは、首里城の概要をおさらいします。

首里城の利用

・入場料金:400円
 ※団体料金は320円、ゆいレールのフリー乗車券の利用期間内の場合も団体料金

・営業時間:9:00~17:30
 ※入場券の締め切りは17:00です

首里城は丘の上にあり、城跡やその周辺を満喫しようとすると、相当歩きます。そのため、動きやすい格好で観光するのが基本です。また、那覇市中心部から距離があり、アクセスにも工夫が必要です。なお、そのアクセスについては、以下の記事でかなり詳細に記しています。

首里城のアクセス(ラクな方法も収録!)

那覇観光の目玉が首里城です。とはいえ、首里城は中心部から離れており、坂道を上がるなど、アクセスには一工夫必要です。周囲の雰囲気を満喫するとともに、アクセスも工夫してみました。

詳細については公式サイトにも記しています。

沖縄の文化:琉球王国

首里城は琉球王国の王が住んでいた場所です。つまり、琉球王国の魂がここ首里城にあるといえます。ただ単に「首里城に行きました!」というだけでは芸がないでしょう。そこで、私なりに琉球王国について説明してみましょう。

琉球王国は明治時代まで沖縄地区に君臨していた国です。日本と中国(※)の双方の影響を受けていました。独立した国というよりも日本と中国双方の影響を受けていたと考えるのが妥当でしょう。

※中国側の政治体制の変化があり、明または清でした。しかし、本記事では簡単のために「中国」と述べることにします。

その琉球王国は日本と中国の影響を受けていたとはいえ、どちらかというと日本よりの国家でした。そうはいっても、日本とは独立した国家でしたので、日本の鎖国中も多くの国々との貿易を行い、一定の繁栄を謳歌しました。その後、日本が開国すると、琉球王国の繁栄は終了し、最終的には日本に組み込まれることになります。

日本の影響を受けていたとはいえ、独自の国家を運営していたことは事実です。その事実を踏まえると、沖縄は独自の文化が根付いていたと解釈することも可能です。例えば、墓地は日本のそれとは異なり、中国のように立派なものです(写真2)。

写真2. 沖縄の墓地は独特のもの(万座毛の近くで撮影)

また、沖縄の建物は本州と異なり、赤い瓦を多用しています(写真3)。これも沖縄が独自の文化を持っていることを感じさせるものです。

写真3. 沖縄らしい住宅地(儀保駅で撮影)

琉球王国の最高権力者が住むのが当時の首里城でした。そのため、首里城に行くと琉球王国の香りを感じることができます。

首里城とその周辺を楽しむ

さて、御託はこの程度にとどめておき、実際に首里城を満喫しましょう!首里城周辺の観光名所は首里城地区、王陵と石畳がありましょう。そのため、これら3つを分けて取り上げます。

首里城と風景を楽しむ

まず、首里城の地図をご覧いただきましょう(図1)。

首里城の地図

図1. 首里城の地図(公式サイトの施設紹介より引用)

首里城の象徴が守礼門です。その守礼門の先が首里城の神髄でしょう。

写真4. 守礼門

守礼門です(写真4)。モノレールでやってきた人も、バスでやってきた人も、そして自動車でやってきた人もここから先は仲良く徒歩です。

写真5. 順路はわかりやすい

順路はわかりやすいです。入口までは1本道です(写真5)。

写真6. 歓会門

最初の門は歓会門です(写真6)。

写真7. 階段が多い

歓会門のあたりからは階段が多いです(写真7)。

写真8. 瑞泉門

次の門は塗りなおしがなされれています(写真8)。昔からの建造物であっても、「何もせずにそのまま」であることはなく、何らかの手が入っていることがわかります。

写真9. 漏刻門が見える

漏刻門があります(写真9)。ここまでは無料エリアです。無料のまま最後まで行けるような期待を持ってしまいます。ところが、そうはいかずにここで入場料金を支払う必要があります。ある程度来させて、「ここまで来たら最後まで見てしまいたい、だから料金を払おう」と思わせる思惑でしょうか。

写真10. 奉神門に入る

この奉神門でチケットの有無を確認されます(写真10)。いよいよ有料エリアです。

写真11. 日本の城というイメージと異なる

日本の城とは異なる建物のお出ましです(写真11)。これが日本とは異なる「琉球王国」のお城なのでしょう。

写真12. 焼けた本殿の跡地

せっかく再建したのに、焼けてしまった本殿です(写真12)。通常の建物であればすぐに新しい建物が建設できますが、歴史的建造物となれば、さまざまな検証が必要なのでしょう。そのため、そのままの姿です。

写真13. このように一部は残っている

全てが焼け落ちたわけではありません。一部はこのようにかろうじて残っています(写真13)。

写真14. 竜の眼などが残っている

眼などのパーツが残っていました(写真14)。これらを用いて再建するのでしょう。

写真15. VR体験のコーナーがある

かつての首里城のVR体験ができるコーナーがあります(写真15)。

写真16. 待合室に上映される画像

VRの機械は2台しかなく、それなりに待たされます。待つ間に見てほしい画像ということでしょうか(写真16)。VRはなんてことはありません。単に散策するだけです。

写真17. 東のアナザに向かう

さて、東のアナザに向かいます(写真17)。ここ東のアナザからは首里の街を眺めることができます。城から街を見守るにもちょうど良かったでしょう。

写真18. 東のアナザに向かう

このような場所を歩きます(写真18)。立派な城壁に囲まれた本州の城を思い出すと、あまりの違いに驚かされます。

写真19. 井戸の跡がある

井戸の跡があるという説明があります(写真19)。

写真20. 井戸は埋められている

その井戸です。安全のためか井戸は埋められています(写真20)。

写真21. 階段が続く

階段が続きます(写真21)。城というより城跡という雰囲気の場所です。

写真22. 街を眺める

街を眺めます(写真22)。近代建築が多いですが、何となく本州とは異なる景色に感じます。

写真23. 本殿あたりを眺める

本殿あたりを眺めます(写真23)。やはり本州とは異なる城です。

玉陵:琉球王たちの墓地

さて、首里城の近くには、玉陵(たまうどぅん)と呼ばれる昔の王の墓があります。ここは入場料金300円を支払う必要はありますが、静かな雰囲気を楽しめる場所でもあります。

図2. 玉陵の場所(googleマップより引用)

玉陵は首里城の近くに位置します(図2)。

写真24. 玉陵への道を歩く

首里城から玉陵への道を歩きます(写真24)。王のお墓は首里城の近くにあるのですね!

写真25. 玉陵に入る

玉陵に入ります。ここまでは無料エリアです。しかし、事務所のような建物があり、そこから先は屋外でも有料です。

写真26. 玉陵入口

玉陵とのご対面です(写真26)。

写真27. 荘厳な空間

おごそかな空間が広がります(写真27)。これが王の雰囲気なのでしょうか。それとも単に観光客が少ないだけでしょうか。

写真28. 墓が広がる

写真29. 墓が広がる

写真30. 墓が広がる

墓が広がります(写真28~写真30)。広い空間に3つの墓があります。近代日本の1人(あるいは一家)1つの墓石を建てる様式と明らかに異なります。やはり沖縄は文化が異なるのでしょう。

写真31. 展示室の展示

展示室にやってきました(写真31)。ここでは琉球王国の歴史や玉陵の概要を学べます。私は学んだつもりですが、この記事を執筆している段階では忘れてしまいました。

写真32. 琉球王国の交易図

琉球王国は多くの場所と交易していたと聞いています。その実態を学ぶことができました(写真32)。でも、現代の地名も併記してくれないとわかりにくいです!

写真33. 玉陵の構造

玉陵の構造が示されていました(写真33)。個人的に印象的に残ったのが、中央の一番良いポジションが誰の墓なのか不明なことです。

写真34. 墓室平面図

こちらの平面図のほうがわかりやすいかもしれません(写真34)。

石畳

次に向かう先は、石畳です。正確には、首里金城町石畳道といいます。

図3. 首里金城町石畳道の位置(googleマップより引用)

首里城の近くにある、風情ある道といえます。年末年始という寒い時期にも関わらず、暑かったです。やはり沖縄は南国なのです。

写真35. 首里城から石畳の道中

首里城から石畳までは若干の距離があります。その道中です(写真35)。

写真36. 石畳への道中

道中です(写真36)。これは写真35のトンネルを抜けた後の風景です。

写真37. 石畳の入口

石畳の入口です(写真37)。景色の良いのは、上から下に降りる形態です。

さて、上から順に景色を堪能しましょう!

写真38. 美しい石畳道

昔ながらの石畳です(写真38)。この道は意外と険しいです。

写真39. 森の中に入る

森の中にも入ります(写真39)。この道は首里城から南部に続く由緒ある道路です。昔はここが主要な道路でした。

写真40. 森の出口で曲がる

森の出口で曲がります(写真40)。私が育った地(東京近郊)の裏道に似ているように思えます。

写真41. 金城町石畳道の案内

ちょうど良いところに案内板がありました(写真41)。

写真42. 素敵な裏道

今となっては素敵な裏道という感じがあります(写真42)が、昔はこのような道が主要な道路だったのです。でも、静かな空間は変わっていないと思います。

写真43. 沖縄らしい空間を感じる

沖縄らしい空間を感じます(写真43)。赤い屋根の住宅、石畳の道。日本は広く、いろいろなところがあるのです。

写真44. 石畳は続く

石畳は続きます(写真44)。このあたりに交差する道路があり、そこはバス通りです。通常はここからバスに乗れば中心部に向かうことができ、必要以上に石畳を登ることはありません。しかし、正月はこの通りにバスが通りませんので、再び上に戻る必要があります。このことに気づいた私は絶望しました。

写真45. 美しい石畳

写真46. 美しい石畳

このように美しい石畳が続きます。この先は近代建築もありますが、古風な道から見える近代的なビル街もそれはそれで良いものです。

見落としがちなスポット:龍潭

見落としがちな穴場スポットの1つに龍潭があります。首里城公園入口バス停の近くに位置します。

写真47. 龍潭入口

龍潭の入口です(写真47)。私はここは単なる池だと思っていました。本記事を執筆する際に観光名所と気づいたのです。最後に駅まで歩く際にたまたま見つけました。上で「石畳を登ることに絶望しました」と記しましたが、その絶望がなければ、立ち寄らなかったでしょう。

写真48. 龍潭の様子

たまたま立ち寄ったときには「スゲー池がある」とだけしか思っていませんが、実は15世紀に造られた由緒ある池なのです(写真48)。

写真49. 鳥がいた!

鳥がいました。近くのGALはスゲーと叫んでいました。この写真を撮影した後、この鳥は私めがけてやってきました。ギャラを請求しにきたのでしょうか。

参考リンク:首里城へのアクセス方法

首里城へのアクセスには工夫が必要です。そのような工夫を詳細に盛り込んだアクセスガイドを作成しました。

首里城のアクセス(ラクな方法も収録!)

那覇観光の目玉が首里城です。とはいえ、首里城は中心部から離れており、坂道を上がるなど、アクセスには一工夫必要です。周囲の雰囲気を満喫するとともに、アクセスも工夫してみました。
前後を読みたい!

さて、前後ではどこに行ったのでしょうか?

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今回の旅行記全体を知りたい人はこちら!

はじめての沖縄旅行の手引き(公共交通で楽しむ方法を伝授!)

※それぞれ別ウィンドウで開きます。

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