三重県と岐阜県を直接結ぶ鉄道はありません。しかし、ただ1つの例外があり、その例外が養老鉄道です。その養老鉄道に桑名から大垣まで乗り、現代の日本の原風景ともいえる景色を堪能しました。
写真1. 大垣に停車する養老鉄道の車両(東急の中古車!)
復習:養老鉄道の概要
まず、養老鉄道の概要について紹介しましょう!乗る側にとっての基本的な内容をまとめました。
・区間:桑名-揖斐
※途中の大垣で進行方向が変わります
・距離:57.5km
※桑名-大垣が43.0km、大垣-揖斐が14.5kmです
・所要時間:桑名-大垣が70分強、大垣-揖斐が25分程度
・運転間隔:40分間隔
※朝夕は運転間隔が異なります、西大垣-大垣に区間運転あり
図1. 養老鉄道の経路(googleマップより引用)
快速や急行の運転はなく、全てが各駅にとまる列車での運転です。桑名と大垣の都市間輸送という役割よりも、沿線民が桑名や大垣に行き来するための役割を重要視した形です。
もともと近鉄の1路線であったことから、桑名での乗りかえはJRよりも近鉄のほうが便利です。中途半端にも見える40分間隔というのも近鉄の急行の運転間隔(20分間隔)に合わせたものと考えると納得できます。ただし、大垣で連絡するJR線は名古屋方面が15分間隔なので、それとはちょっと合いません…。
なお、養老鉄道では交通系ICカードは使えません。また、場所によっては高額紙幣が使えない券売機しかありません。そのため、1000円札を用意したほうが良いです。
実際に養老鉄道に乗る
さて、実際に乗ってみましょう。
写真2. 桑名に停車中の大垣行き
桑名-揖斐の直通運用はなく、大垣で乗りかえとなります。桑名-揖斐の直通利用はそうありませんが、乗りかえは鉄道利用を妨げる原因となりえます。その要因を排除するためにも、可能なところを直通するほうが良さそうです。
私が桑名に着いたのは発車の2分前です。それだけ近鉄との接続が考慮されているのですが、あわただしいのも事実です。少しでも乗りかえに余裕を持たせるために、近鉄名古屋方面から養老鉄道に乗りかえる際は、近鉄では後ろよりの車両にのったほうが良いです。階段による乗りかえはありません。
私は乗る際に1000円札を持っていませんでした(高額紙幣は持っていました)ので、高額紙幣非対応の自動券売機は使えませんでした。そのため、駅員さんが急いで乗車票を渡してくれました(写真3)。
写真3. 乗車票(ありがたみはありません)
ここまで手を掛けるのであれば、その場で乗車券を発行しても良かったように思えます。
写真4. 東急時代を隠せない内装
養老鉄道は資金力のない鉄道会社であることは隠せません。そのため、車両は大手からの中古車にせざるを得ません。東急からの中古車を利用しています。その車内は東急カラーを隠せません(写真4)。近鉄車もありますので、近鉄車と東急車の競演が味わえる路線でもあります。
写真5. JR線と近鉄線と分かれる
桑名を発車すると微妙にJR線と近鉄線と並走します(写真5)。両線ともに名古屋都市圏でも輸送量がそう多いわけではありませんが、どちらも複線です(※)。それに対し、わが養老鉄道は単線で貧弱さは否定できません。
※関西本線は単線区間も多いですが、桑名の名古屋方は複線です。
写真6. 学校の横を通る
学校の横を通ります(写真6)。このような施設があるということはそれなりに人が住んでいる証なのでしょうか。
写真7. 揖斐川の支流を渡る
揖斐川の支流を渡ります(写真7)。
写真8. 下深谷で桑名行きとすれ違う
下深谷で桑名行きとすれ違います(写真8)。養老鉄道はずっと揖斐川の近くを走りますが、下深谷付近では揖斐川は県境ではありません(県境は木曽川です)。
写真9. のどかな景色になってきた
桑名を離れるとのどかな景色になってきました(写真9)。とはいえ、ここも桑名市ではありますが…。
写真10. 昔ながらの看板が味を出す
駅前もそう発展していません。昔ながらの建物が多く残り、昔の看板も残っています(写真10)
写真11. 川を渡る
揖斐川の支流の肱江川です。ひじえ川と読みます。
写真12. 多度に停車!
多度はこのあたりではそれなりの規模の駅です。駅前も集落があります(写真12)。
写真13. 集落を通る
写真14. 集落を通る
日本の農村という光景が広がります。とはいえ、住宅も多く、単純な農村という景色ではありません(写真13、写真14)。このあたりで三重県から岐阜県に入ります。三重県は近畿地方、岐阜県は中部地方であり、日本の地域区分の境界を通りましたが、そのような特別感はありません。
写真15. 美濃松山に停車!
美濃松山にとまります(写真15)。「美濃」という旧国名がついていることから、ここは岐阜県です。やはり岐阜県に入っています。
写真16. 風景は変わらない
岐阜県に入っても景色は変わりません(写真16)。大きな枠では日本国内なのです。日本国内の景色がどこも似ているのはすごいと思います。
写真17. 水田が広がる
水田が広がります(写真17)。揖斐川と山の間のわずかな平地をこのように活用しています。
写真18. 近鉄車とすれ違う
近鉄車とすれ違います(写真18)。あちらの近鉄車は3両編成、こちらの元東急車は2両編成です。元東急車のほうが新しく導入されています。新しく導入した車両のほうが編成両数が短いという事実に気づくと、徐々に輸送量が減っているという残酷な現実に気づいてしまいます。
写真19. 野焼きが行われている
野焼きが行われていました(写真19)。ここまで民家が少なければ、迷惑にもなりません。
写真20. 集落が現れる
集落が現れたら、駅が近いです(写真20)。次の駅は駒野です。
写真21. 水田が現れる
写真22. 集落が現れる
駅を出たら、再び水田が現れ、そして集落が現れます(写真21、写真22)。こうして次の美濃津屋にとまります。
写真23. 丘陵地帯を行く
写真24. 丘陵地帯を行く
美濃津屋から養老は山がちの場所を走ります(写真23、写真24)。もう少し川沿いのほうが線路建設が容易そうですが、なぜ山に近い場所に線路を通すのでしょう?きっと揖斐川が氾濫したからと思いますが、私には確信はありません。
写真25. 養老に停車!
養老にとまります(写真25)。養老鉄道なり近鉄養老線の名前の由来となった駅名です。ちょっとした拠点で、駅ナカにSTUDIOもあります。
写真26. 畑の中を走る
養老を過ぎてもそう景色は変わりません。日本の農村という風景の中を走ります(写真26)。
写真27. 鳥江付近で川を渡る
鳥江付近で牧田川と相川を渡ります(写真27)。そのため、ここでは高架を走ります。
写真28. 川を渡る
川を渡る前後のカーブは急なものがあります(写真28)。この様子は写真ではなかなか伝わらないでしょう。そこで、この付近の地図を示します(図2)。
図2. 大垣市と養老町の境界付近の地図(googleマップより引用)
美濃高田を通らずに、養老から鳥江まで直線で建設したら良さそうですが、川沿いを建設するには技術的な苦労があり、現在の線形となったのでしょう。これはこれでしょうがないですが、高速運転が可能な自動車とくらべると劣ってしまいます。
このあたりから大垣市に入り、私の周囲にも多くの乗客が乗りこんできました(座席の大半が埋まる程度)。そのため、体をねじ曲げて車窓を撮影することは迷惑行為ととらえる人もいることでしょう。そこで、車窓撮影は自粛いたしました。それだけ利用客がいたということです。
写真29. 大垣に到着
こうして大垣に到着です(写真29)。
写真30. 駅名標は近鉄様式だが、独自性を見せる
大垣の駅名標は近鉄様式に養老鉄道のアレンジ、ちょっとした遊び心が加わった独特のものです(写真30)。
写真31. 大垣の駅舎は立派
大垣の駅舎は立派なものです(写真31)。私はここで桑名からの運賃を支払いました。この支払いに時間がかかりました。もしも桑名の自動券売機が高額紙幣対応であれば、かからなかった時間です。移動時間は単に電車に乗る時間だけでなく、駅から目的地までの時間も含まれます。なるべく運賃精算に時間がかからないようにしてもらいたいものです(私は待ち時間にちょっとした撮影をしたのでその点は有効活用したのですが)。
養老鉄道のまとめ
養老鉄道はそれなりに利用されており、廃線を免れたこともよく理解できました。とはいえ、採算性という意味では微妙なラインなのでしょう。それゆえに、近鉄本体による運営が断念され、分社化されました。
現在は自動車交通が主体の地域で、速度も遅い養老鉄道の利用促進は限界があります。また、周辺も自動車利用が前提の街になっていることでしょう。養老鉄道単独でどうにかなる問題ではありません。養老鉄道ができることといえば、自動券売機の機能強化、台数強化で精算する時間を省くことで、トータルの移動時間を短縮する程度でしょう。
そうはいっても、養老鉄道は現代の「日本の原風景」を走る路線で、養老には滝などのお出かけスポットもあります。このように、日本の良さを見つける1つの路線として、そして地域の足として今後も使われてほしいものです。