プラハの新市街の観光(18年プラハ旅行記)

記事上部注釈
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プラハの街は大きく分けて、旧市街と新市街があります。観光客に人気のエリアは旧市街ですが、新市街も冷戦の終結を迎える歴史の舞台になったりと注目に値するエリアです。アクセスから詳細に記載いたしました。

ヴァーツラフ広場


図1. ヴァーツラフ広場の位置

ヴァーツラフ広場の紹介

ヴァーツラフ広場は新市街の中でも重要な広場です。ここは広場というより通りのよう(長さ750m、幅60m)にも見えますが、「広場」とみなが言っている以上、広場としましょう。広場の上には聖ヴァーツラフの騎馬像があり、広場を見守っています。現在は目抜き通りですが、近代史から現代史の舞台にもなっています。プラハの春やビロード革命ですね。興味がありましたら、以下のコラムを読んでください。この広場は坂になっています。

はみだしコラム:2つの歴史的な事件

1. プラハの春(チェコ事件、1968年)

第二次世界大戦のころ、チェコスロバキアはナチスドイツに占領されていました。それを救ったのがソビエト軍です。しかし、これは支配者がドイツからソ連に変わっただけのことです。ソ連型の社会主義に反して、1968年にチェコスロバキア政府は「人間の顔をした社会主義」という名目で独自路線を歩もうとしました。これに危機感を持ったソ連は軍を派遣します。ヴァーツラフ広場にもソ連軍の戦車が乱入しました。プラハ市民はソ連軍兵士にロシア語で話しかけたりしましたが、それもむなしく従来のソ連方式に戻さざるを得なかったのです。

2. ビロード革命(1989年)

プラハの春が終わり、「正常化」がなされてソ連の忠実な子分としてチェコスロバキアは機能していました。しかし、ソ連はチェコスロバキアを含む東ヨーロッパの世話と支配を放棄。これで東ヨーロッパ諸国は混乱しました。このことで従来の体制に反する人も増えて、チェコスロバキアの社会主義は終わりを迎えたのです。これをビロード革命といいます。ほとんど流血が生じなかった革命です。

ヴァーツラフ広場へのアクセス

広場の上側には地下鉄Muzeum(博物館)駅が、広場の下側にはMůstek駅がそれぞれ存在します。Muzeum(博物館)駅には地下鉄A線と地下鉄C線が、Můstek駅には地下鉄A線と地下鉄B線がそれぞれ乗り入れています。ただし、地下鉄B線のMůstek駅からは離れています。地下鉄C線沿線からのアクセスならばともかく、なるべく地下鉄A線と地下鉄C線を活用しましょう。

私は地下鉄C線でアクセスしました。地下鉄C線はプラハ本駅にも乗り入れていますので、プラハ本駅からヴァーツラフ広場へ行く場合は地下鉄C線が便利ですね。

ヴァーツラフ広場を訪ねる

私は地下鉄C線に乗り、Muzeumで降りました。ここからだと坂を降りる形となり、ラクなのです。プラハは坂の多い街なので、どこが低いところか(川の近くが標高が低い)を考えるとラクに動けます。

写真1. 聖ヴァーツラフの騎馬像

さっそく、聖ヴァーツラフの騎馬像が見えました(写真1)。これは後ろ姿ですね。

写真2. 聖ヴァーツラフの騎馬像

そこで前に回ってみましょう(写真2)。ヴァーツラフはチェコの英雄のようです。チェコの独立時、逆に併合時にはヴァーツラフ1世の名が連呼されたようです。彼の命日となった9月28日は祝日になっているくらいですからね。

写真3. 坂の上から見下ろすヴァーツラフ広場

さて、ヴァーツラフ広場を見下ろしましょう(写真3)。これは広場ではなくて通りという風情です。

写真4. 広場の中ほどから坂を見上げる

広場を歩いて中ほどまでやってきました。ここで後ろを振り返ります(写真4)。ここでまだ中間地点なのです。

写真5. 坂の下から見上げる

そして最後の地点までやってきました(写真5)。やはりヴァーツラフ広場は広いですね。

ヴァーツラフ広場の先には何が広がっているのでしょう。

写真6. ヴァーツラフ広場の突き当たりを見る

突き当たりを見てみます(写真6)。何となく高級感が漂っています(注. 個人の感想です)。

写真7. 突き当たりを右に曲がる

右に曲がってみましょう(写真7)。こちらが旧市街の方向です。ここはショッピング街のように見えます(注. 個人の感想です)。

写真8. 旧市街と新市街の中間付近の美しい街並

写真9. 旧市街と新市街の中間付近の美しい街並

写真10. 旧市街と新市街の中間付近の美しい街並

旧市街に向かって進みます(写真8-10)。新市街といっても古い建物が多いです。14世紀から整備されて、19世紀に現在の姿がほぼ完成したのです。新宿新都心とは歴史が違うのです。

宿泊したホテル周辺

私が宿泊したホテルは新市街に位置します。具体的には、トラムのŠtěpánskáから徒歩3分くらいです。私はプラハ本駅から地下鉄C線で2駅のI.P. Pavlovaで降り、そこでトラムに乗り換えました。ここで、トラムは坂を下るほうです。

ここで坂の上に聖堂が見えました。一瞬、火薬塔(旧市街にある観光名所)とも思いましたが、全く方角が異なります。行ってみましょう。

写真11. 聖堂(近づいてみました)

写真12. 教会の前に広がる平和広場

後で調べてみましたら、Church of Saint Ludmilaというカトリック教会のようです(写真11)。私が立ち寄ったときには教会は開いていませんでしたので、中には入りませんでした。この前には広場があります(写真12)。平和広場といいますが、ヴァーツラフ広場よりは狭かったです。

さて、ホテル周辺を見てみましょう。

写真13. ホテル周辺の路地

ホテルから大通りに向かう途中の光景です(写真13)。私が宿泊したときは、夜にこの通りで地元民が騒いでいました。なんて防音がなっていない部屋だと思いましたが、よく見たら窓が空いていました。1階の部屋だし、それはうるさいわけです。

写真14. ホテル(ドナテロ)の入口

私が宿泊したホテルの入口です(写真14)。現代的なホテルではなく、昔ながらのホテルであることがわかります。

写真15. トラムの停留所

写真16. トラムの停留所

ホテルの最寄りの停留所です(写真15-16)。Štěpánskáといい、22系統(プラハ城のすぐ近くまで行く系統)など多くの系統がここを通ります。22系統に乗るとプラハ城に行けますが、もう反対はどうなのでしょうか?(下の関連リンクの「次」からたどればその詳細は見られます)

前後を読みたい!

プラハの観光名所を見てみましょう!以下のページにまとめています。見ないと損ですね…。

プラハ観光のまとめ(18年プラハ観光)

前後でこれらを観光しました。

←(前)ヴルタヴァ川(モルダウ川)沿いの風情を楽しむ(18年プラハ観光)

(次)プラハトラム22系統で真のプラハに行く+国鉄に見る日常→

※別ウィンドウで開きます。

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