ウィーンの王宮(18年ウィーン観光)

ウィーンの旧市街でことさら目立つのが旧王宮です。ここでは第一次世界大戦までハプスブルク家が実際に生活し、政治を行っていた場です。この旧王宮を訪ねて昔の栄華を回想しました。


予備知識:オーストリア帝国とハプスブルク家

ここで、「王宮に行きました~こんな立派なんですね~」と写真だけ挙げても芸がありません。そこで、王宮が現役時代に所有していたオーストリア帝国とハプスブルク家について簡単に述べましょう!興味のない人はスルーしてください。

オーストリア帝国:中欧に君臨した国家

1915年ごろのオーストリア帝国

図1. オーストリア帝国の範囲

現在、オーストリアは北海道ほどの大きさの中堅国家ですが、以前は中央ヨーロッパに君臨した国家がありました。それがオーストリア帝国です。現在のオーストリア以外にハンガリー、チェコ、スロバキア、スロベニア、クロアチアの各領域のほぼ全域、ポーランドやウクライナはそれぞれ一部までその領土は広がっていました。

この国家はドイツ人の他に、マジャル人(ハンガリー人)、ボヘミア人(チェコ人)などの多くの民族を抱えていました。近代以降の国家は国民国家といい、各民族が自律して国家を運営するスタイルにシフトしていきました。オーストリア帝国も例外ではありません。ドイツ人が多い地域だけオーストリアとして残され、他の地域はそれぞれ独立したのです。これには、帝国の弱体化を狙う他の列強の思惑もあったことでしょう。これらの国家は(ナチス)ドイツとソ連の格好の餌食になってしまいました。現在はナチスドイツもソ連もなくなっていますけどね!

そのようなオーストリア帝国なきあとの各国家の苦難を考えると、さまざまな課題があったでしょうが、帝国があった時代は栄華の時代というように総括する人もいることでしょう。

ハプスブルク家

そのオーストリア帝国はハプスブルク家が治めていました。もともとスイス北東部からドイツ南西部を支配していた貴族でしたが、1273年から1918年まで650年に及ぶ間中央ヨーロッパを支配したのです。最後の皇帝はフランツ・ヨーゼフでした。その妻のエリザベードのシシィと呼ばれ、今でも伝説になっています(地球の歩き方先生にも掲載されています)。

ハプスブルク家の家訓は「戦いは他のものにさせるがいい。汝幸いあるオーストリアよ、結婚せよ」というものです。武力によってではなく、政略結婚によって領土を広げるという方針です。マリア・テレジアの娘のマリー・アントワネットがフランスに嫁に行ったのがその典型例でしょう。

王宮に行く

ここまで私の理解している範囲内で、歴史的背景を簡単に説明しました。私も説明にあきましたので、いよいよ本編です。

王宮へのアクセス

まず、アクセスから記しましょう。

図2. 王宮の位置(googleマップより引用、ホーフブルクというのは王宮のドイツ語表記です)

私はシェーンブルン宮殿に行く前に王宮に行き、そこでシシィチケットを購入しました。先に王宮で共通チケットを買うことにより、シェーンブルン宮殿の待ち時間を短縮しようという作戦です。

補足説明:シシィ・チケットについて
シシィというのは最後の皇帝の妻のエリザベートの愛称です。シシィは現在のウィーンで愛されているようです。

そのシシィの名前をとったチケットです。概要を示します。

・価格:29.9€
・効力:王宮とシェーンブルン宮殿双方に有効

これならば大してメリットはなさそうですが、シェーンブルン宮殿に自由な時間に入れるというメリットがあります。ウィーンで最も人気の観光地のシェーンブルン宮殿では、チケット購入と入場に時間がかかります(指定の時間にならないと入れない)。しかし、このチケットを持っていれば、自分のスケジュールで入れます。王宮とシェーンブルン宮殿で購入できますが、比較的空いている王宮で購入するのが知恵の使いかたです。

私はこのように時短のオペレーションを産みだすのです。

写真1. 王宮が見える

王宮へは地下鉄のシュテファン広場駅から歩くのが便利です。ウィーンに来る前は宮殿は郊外にあるものという認識でしたが、王宮は旧市街の中心にあるのです(写真1)。

写真2. 王宮が近づいてきた

写真3. 王宮の入口

王宮では何かにおいます。よく見ると馬車が多く待機しています。この馬から発せられるにおいであることにすぐに気がつきました。

写真4. 王宮の入口

その馬のかおりを堪能しながら、王宮に入ります(写真4)。

王宮の雰囲気を味わう

王宮にはさまざまな展示物がありますが、外観を味わうだけでも価値はあります。まずは、その外観を見てもらいましょう。

写真5. 入口を入ると荘厳な建物を通過する

入口付近から荘厳な眺めです(写真5)。中の展示を見るには、ここを右に曲がりましょう。

写真6. 偉人の像(東京には私の像が建立されると信じています)

偉人の像です(写真6)。フランツ2世のようですが、偉人の像と覚えれば間違いはありません。

写真7. 偉人の像(東京には私の像が建立されると信じています)

狭い空間を出ると、広い空間に出ます。また像がありましたね(写真7)。これはカール大公騎馬像のようです。馬に乗るとカッコ良いですね。電車に乗るよりサマになるのです。

写真8. 美しい新王宮

カールの像と反対側には美しい新王宮がそびえていました。何が「新」なのだろう?

銀器コレクション

王宮の内部見学でまず通されるのは、銀器コレクションです。王宮もシェーンブルン宮殿も日本語によるオーディオガイドが配られますので、何の展示なのかわからないことはありません。ただし、覚えていられるかどうかは別問題です(私は忘れていています…)。

写真9. 美しい銀器

写真10. 美しい銀器

写真11. 美しい銀器

写真12. 美しい銀器

写真13. 美しい銀器

美しい銀器が並べられています(写真9-13)。詳細なきちんとした説明がなされていましたが、忘れました。とにかく食事ごとに専用の食器が用意されて、堅苦しいテーブルマナーとともに食事していたのです。磁器によるものもありました(金や銀で戦費を調達したためです)。素材は磁器であっても、表面はメッキ加工してそれっぽく見せています。また、近代に至るまで戦争があり、管理者が変わりました。その際、敗戦国に納入予定の銀器は戦勝国に納入されることになります。この費用はちゃんと戦勝国が支払ったようです。というより、ちゃんとした契約に基づいているのですね!私は無償で作らせたのかと思っていました。そのようなことは紳士なんですね。

シシィ博物館

シシィと呼ばれたエリザベート。彼女の人生は波乱に満ちていました。その人生について展示されています。最後の皇帝の妻といえども、1人の人生についてここまで展示されることはめったにないでしょう。ここは撮影禁止でした。

彼女の人生は大まかには以下の通りです。

1) バイエルン王国(ドイツのミュンヘン周辺の王国)の娘として産まれ、ノビノビと少女時代を過ごす

2) 15歳のときに当時のハプスブルク家のフランツ・ヨーゼフとのお見合いで、(両家の事前の打ち合わせでは彼女の姉と引き合わせる予定だったが)フランツ・ヨーゼフが彼女を気に入る

3) ウィーンに入り、堅苦しい生活や義理の母からの嫌がらせがあり、宮廷生活よりも旅を好んだ

4) 宮廷では政治などよりも美にこだわり、器械運動やきちんとした食事に気を遣った
※他の国の外交官やウィーン市民も彼女の美貌に釘付けになったようです。それならば、ヨーゼフ君も気に入るわけです。

5) 旅をしている途中、スイスでイタリアの無政府主義者に殺害され、苦悩の人生に幕を下ろす

彼女の人生の展示を見て感じたことは、「職業選択の自由がないことがここまで人の人生を苦しめる」というものです。彼女には宮廷生活が合わなかったのでしょう。現在の日本であれば、自らの適正にあった職業を選択できます。しかし、シシィにはそのような選択の余地がなかったのです。彼女も他の仕事ならばここまで苦悩することはなかったのかもしれません。
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ウィーンの旧市街は迷いますから、このようなインターネットサービスでgoogleマップを開いて、道案内の一助とすることも良いでしょう。このサービスはネットゲームなどのような高度なことはできませんが、最低限の仕事をしてくれました。

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ウィーンの観光名所を見てみましょう!以下のページにまとめています。見ないと損ですね…。

ウィーンの観光まとめ(18年ウィーン観光)

前後でこれらを観光しました。

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