長崎本線(旧線)と島原鉄道の旅(18年夏長崎・福岡鉄道旅行記)

長崎県は海岸線の長い県です。日本で海岸線が2番目に長いのです。そんな海岸線沿いを通る鉄道は2路線ありますが、今回はその中でも味わい深い2路線をチョイスしました。単に景色を紹介するだけではなく、その海岸を堪能できる方向(進行方向のどちらに展開するか)やその他の景色についても触れました。
島原外港

写真1. 島原外港(島原鉄道)


長崎から諫早:旧線の美しい景色を堪能する

さて、長崎からの旅の開始です。今回諫早まで新線ではなく、旧線を利用しました。この理由は往路の移動で新線を通ったためです。往路と復路で経路を変えたほうが楽しいと思ったのです。

写真2. 長崎駅舎

長崎の駅舎です(写真2)。今回は入っていませんが、長崎駅に隣接して商業施設の入ったビルがあります。長崎駅は街の一部として機能しているのでしょう。

写真3. かもめと817系の競演

改札を入ると特急かもめと817系が停車していました(写真3)。しかし、私が乗る列車はこれらではありません。旧線は電化されていないため、これらの電車では運行できないのです。

写真4. 私の乗る旧線経由の列車(電光掲示)

私の乗る列車はこちらです(写真4)。旧線経由の列車は長与経由と表示されます。

写真5. 旧線経由は66系気動車

旧線は主に66系気動車が担当しています(写真5)。この車両tは1970年代に製造された車両ですが、転換クロスシートを採用しており、旅には適切な車両です。では、その車内を見てみましょう。

66系気動車の車内

写真6. 出入口付近のロングシート

この車両は基本的には転換クロスシートですが、車両の出入口付近はロングシートです(写真6)。

66系気動車の車内

写真7. 車内中ほどのクロスシート

車内中ほどに進みますと、クロスシートが登場します(写真7)。1970年代に転換クロスシートを採用したことは、革命的です。当初は筑豊地区の輸送改善のために登場したといいます。現在は筑豊地区の電化に伴い、長崎地区で運用されています。長崎県の美しい景色を眺めるには、最適な車両でしょう。

66系気動車の車内

写真8. クロスシートを見る

そのクロスシートです(写真8)。製造当初と同じく青系のモケットですが、模様ありに変更されています。

66系気動車の車内

写真9.ドア部分にはステップ

ドア部分にはステップがあります(写真9)。乗り降りの際はつまづかないように気をつけたいものです。

車両のうんちくはこのくらいにしましょう。

写真10. 九州新幹線(西九州ルート)の建設

長崎を出るとすぐに九州新幹線(西九州ルート)の建設現場のとなりを走ります。このルートは九州新幹線(長崎ルート)や長崎新幹線と呼ばれることもありますが、正式には九州新幹線(西九州ルート)と呼びます。フル規格で新鳥栖まで伸ばして新大阪まで運転というのが交通網的には最適解でしょう。

写真11. 長崎市内を行く

写真12. 長崎市郊外の住宅街

長崎を出てしばらくは長崎市内の住宅街を走ります(写真11-12)。長崎市は山がちな地形ですので、住宅街といえども坂道からは逃れられません。

写真13. 長崎市郊外の住宅

写真14. 単線非電化でも住宅開発が進む

このように単線非電化の路線でも住宅開発が進みます。長崎市は平地が少ないので、必然的に住宅が建てられるのは一部の地域になります。その一部の地域が鉄道路線の近くだったのが、鉄道側としては助かったことでしょう。

写真15. のどかな風景を行く

しかし、ずっと住宅街というわけではありません。住宅街が終わるとのどかな景色に変化します(写真15)。

写真16. 水田と山地のコラボレーション

写真17. 山地と水田のコラボレーション

さらに進むと、山の合間に水田があるという景色に変化します(写真16-17)。

写真18. 海岸線を走る

写真19. 美しい海岸線

写真20. 美しい海岸線

ずっと山の中を走るわけではありません。今度は美しい海岸線が広がります。海岸線を見るには、長崎からでは進行方向左側、諫早からだと進行方向右側に座ると良いです。反対側だったら、通路をはさんで逆側の景色を見れば良い?そう思うかもしれません。しかし、この地区の列車はなぜかブラインドが閉められていることが多いので、注意が必要です。

写真21. 美しい海岸線と船

写真22. 逆光も美しい

そんな海岸線がさらに展開します(写真21-22)。このように、斜面の住宅地、山あいの水田、美しい海岸線と変化に富んだ道中が楽しめました。長崎と諫早の移動は片道は旧線(長与経由)を使いたいものです。

島原鉄道

海岸線との付き合いは続きます。次のステージは島原鉄道です。

写真23. 1号機関車のサボを付けた車両

島原鉄道はどこかのJRが末期色を採用するずっと前に黄色の車体を導入しています。今回はただの黄色の車両に当たると思い込んでいました。しかし、何やらサボが付いています(写真23)。

写真24. 1号機関車のラッピング

側面を見てもラッピングがなされています(写真24)。1号機関車(外部リンクに飛びます)のラッピングです。でも、なぜ1号機関車のラッピングなのでしょう。リンク先をたどるとわかりますが、以下のようです。

本機は、1911年(明治44年)4月1日付けで島原鉄道の開業用に譲渡され、同社の1となって客貨牽引に用いられた。(中略)昭和の初めごろ、元鉄道記者の青木槐三が貴重な1号機関車として当時の鉄道省への返還・保存のための運動を始めた。その甲斐あって、1930年(昭和5年)、600形656号機との交換で鉄道省に戻ることになった。(中略)同年7月3日、本機は諫早駅で盛大な惜別式を行ない、『送国宝一号機関車』と書かれた幟を飾って鉄道省に引き渡された。wikipeda先生(国鉄150形蒸気機関車)

簡単にいうと、島原鉄道では旧式の機関車を導入して、「遺産として残したいから返還して」という要請があり、遺産として残されたのです。島原鉄道から見ると、1872年式の機関車と1886年式の機関車を交換できたので良かったですね。島原鉄道は当時からしたたかだったのですね(普通の人はこのような捉えかたをしませんね)。

写真25. 前面展望は1号機関車よりも良好!

その車内は前面展望に優れています。ワンマン運転に対応した設備です。私が乗車した列車は諫早-南島原は車掌乗務、南島原-島原外港(たった1駅!)はワンマン運転でした。

写真26. 一見普通の車内

このような車内は通常のボックスシートが展開します(写真26)。

写真27. 1号機関車に関する展示がなされる

写真28. ありがたい1号機関車

しかし、よく見ると1号機関車の掲示が多数あります(写真27-28)。島原鉄道は1号機関車に対する思い入れがあったのでしょうか。それとも、宣伝しようという下心があるのでしょうか。ここではそれを探ることはいたしません。

写真29. 諫早市内を走る

列車は諫早を出ました。諫早の次は本諌早です。駅名から諫早市の中心という感じですが、そうでもなさそうです。

写真30. のどかな景色を行く

長崎市とは異なり、すぐにのどかな景色をいきます。この列車は各駅に停車します。少し前まで急行が多く走っていましたが、今は急行は1日1往復しかありません。貴重な地方私鉄の急行がどんどん減っていきますね。

写真31. 美しい海岸線

写真32. 美しい海岸線

写真33. 漁師町のような海岸

写真34. まるで船に乗っているよう

写真35. のどかな海岸線

写真36. 美しい海

列車は海沿いを走ります(写真31-36)。諫早から島原外港に向かうときには進行方向左側が海沿いです。逆側(右側)は雲仙岳を見ることができます。

写真37. 雲仙岳が見える

強引に雲仙岳も撮影してみました(写真37)。

写真38. 美しい海岸線

このような美しい海岸線を眺めたあとは、島原です。このあたりでは大きな都市です。島原鉄道の大多数の乗客は島原で降り、島原からは空きました

写真39. 島原の車両基地を見る

島原の車両基地を眺めます。さっちゃんというゆるキャラのラッピングがなされていますが、せっかくの美しい車体が台無しですね。

写真40. エセ国鉄急行色の車両

島原鉄道はやりたい放題ですね。今度はエセ急行色です(写真40)。

写真41. ベーキングパウダーカラーですね

まるでベーキングパウダーです(写真41)。下記リンクの商品です。


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ここから1駅だけワンマン運転で島原外港までゆっくり走ります。そのようにして、島原外港に着きました。ここからは諫早には戻りませんでした。

島原外港

写真42. 島原外港(島原鉄道)

前後を読みたい!
さて、前後ではどこに行ったのでしょうか?

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※それぞれ別ウィンドウで開きます。



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