広島県を東西に延びる山陽本線。広島県を代表する広島市と広島県第2の都市の福山市を結んでいます。そんな山陽本線に乗ってみました。途中の車窓を余すことなく収録しています。
写真1. 糸崎での乗りかえが発生する(多くの人が乗りかえる)
広島と福山の移動について
広島と福山の移動は同じ県内であっても気軽に考えてはいけません。在来線の直通列車は基本的にはなく、糸崎で乗りかえる必要があります。また、広島-糸崎を通しで運転する列車も1時間に1本が基本(途中の白市までは平均15分間隔)で、いつでも乗れるわけではありません。
広島から福山までの所要時間は2時間ほどです。途中の糸崎で乗りかえが必要で、糸崎での待ち時間が一定ではないという事情から、列車によって所要時間は異なります。
旅行者にとってありがたいのは、車両が長距離利用に耐えられるような内装であることです。広島-糸崎は快適な新型車両、糸崎-福山は(かなりの確率で)古いものの快適にリニューアルされた車両です。
※広島-糸崎に充当される227系電車の内装については、JR227系(広島地区)の車内をご覧ください。
※糸崎-福山に充当される115系電車(113系電車)の内装については、115系(113系)リニューアル車両(山陽地区)の車内をご覧ください。
運賃は1980円で、高速バス(ローズライナー)の2400円よりは安いです。高速バスは所要時間1時間40分強ですので、高速バスと互角の戦いであることもわかります(高速バスは中心部のバスセンター発着なのは有利ですが)。
もしもここまでの所要時間をかけたくないのであれば、新幹線利用も1つの手段です。新幹線であれば、遅いこだま号でも所要時間は1時間足らず、福山停車ののぞみ号、さくら号、みずほ号であれば、所要時間は25分程度でしかありません。ただし、自由席でも4510円かかります。
最後に、これらの一覧をまとめます(表1)。
表1. 広島-福山の移動手段
所要時間 | 運賃・料金合計 | 本数 | |
---|---|---|---|
在来線 | 2時間前後 | 1980円 | 毎時1本 |
高速バス | 1時間40分前後 | 2400円 | 毎時1本 |
新幹線 | 25~60分 | 4510円 | 毎時2本程度 |
これを見ると、安さの在来線、早さの新幹線、中心部に直通していてそこそこ安い高速バスという3つの構図が浮かび上がります。
今回、私はせっかくの旅行なので在来線を使いました(前後の行程もあるのでそこまで運賃はかかっていないはずです)。
在来線に乗る
さて、せっかくの旅行です。糸崎乗りかえで2時間かかるなどど不満をこぼさずに、その道中を楽しむことにしましょう!上の章で糸崎という地名が出てきましたが、昔から運転上の拠点で、ここが広島支社と岡山支社の境界です。
図1. 糸崎駅の位置(googleマップより引用)
広島支社だの岡山支社だの利用者には関係ないのだから、昔のように広島-岡山直通に戻すべきだと思うよ!
広島→糸崎:広島支社管内の旅
広島駅で列車を待ちます。
写真2. 糸崎行きの表示
広島地区は以前は4両編成が基本でしたが、新型車両投入に伴い、3両編成が基本となってしまいました。しかし、私が見たところ、3両+2両の5両編成や3両+3両の6両編成も多くありました。そのため、短編成化による弊害はそこまでなさそうです。私が乗ったのは6両編成でした。
写真3. 広島を発車!
広島を発車しました(写真3)。
写真4. 広島駅東側の踏切
広島駅東側にある踏切を渡ります(写真4)。
写真5. 広島貨物ターミナル
広島貨物ターミナルです(写真5)。山陽本線には貨物列車も多く、多くの旅客が新幹線に移行した後も大きな役割を担っています。
写真6. 下り列車とすれ違う
下り列車とすれ違います(写真6)。これは山陽本線の普通電車でしょうか。
写真7. 下り線が近づいてくる
下り線が近づいてきます(写真7)。広島から海田市までは複々線区間で、貨物列車が内側を走行します。
写真8. 向洋付近の風景
天神川の次は向洋です。向洋は「むかいなだ」と読みます。広島から2駅目ですが、広島市には位置せずに、府中町に位置します。広島県には府中市もあり、紛らわしいですね!
写真9. 呉線が分岐する
呉線が分岐します(写真9)。山陽本線の複々線が呉線の複線(実際は単線ですが)と山陽本線の複線に分かれるイメージです。
写真10. まもなく海田市
まもなく海田市に停車します(写真10)。海田市は「かいたいち」と読みます。海田市は広島市でも府中町でもなく、海田町に位置します。そして、その海田町と府中町は隣り合っていません!
写真11. 海田市
海田市です(写真11)。広島方面の電車は山陽本線と呉線の2系統が使えますが、山陽本線と呉線でホームが異なります。これはちょっと利用しにくいです。利用者的には海田市の東側で分岐したほうが使いやすいですね!
写真12. 呉線が分岐した
呉線が分岐しました(写真12)。呉線が分岐するのは海田市のすぐ近くです。こうなると、駅の東側で分岐する線形は難しいかもしれません。
写真13. 住宅街を走る
住宅街を走ります(写真13)。このあたりは広島市に入っているはずです。
写真14. 安芸中野に停車!
そんな中に駅が登場します。安芸中野です(写真14)。
写真15. 川沿いを走る
川沿いを走ります(写真15)。広島から10km程度しか離れていませんが、のどかな風景に見えます。
写真16. 瀬野川に架かる橋がある
瀬野川にかかる橋があります(写真16)。
写真17. 中野東に停車!
中野東に停車します(写真17)。安芸中野よりも東にあるのでこのような駅名になったのでしょう。東中野という駅名にしなかったのは、東京にある駅と区別するようにしたためです。1989年に開業した比較的新しい駅です。
写真18. 住宅街を走る
このあたりの住宅は少ないですが、瀬野川沿いの谷間しか都市開発ができないためでもあります(写真18)。このような地形だと鉄道に不利なように思えますが、実は鉄道に有利です。鉄道は線状に延びる交通機関で、面的に発達した場所には不向きです(東京のようにものすごく発達していたら別の話です)。
広島の場合、鉄道沿い以外は山がちな地形で、街は必然的に鉄道沿いに発達しますから、人々の流動と鉄道が合致しやすいです。国鉄末期に「国電並みの高頻度運転」が行われたのはこのような理由もありましょう(広島地区と同様に高頻度運転が早くから行われた静岡地区も同様です)。
写真19. 瀬野川沿いを走る
瀬野川沿いを走ります(写真19)。
写真20. カーブを走る
カーブを走ります(写真20)。まもなく瀬野です。
写真21. 瀬野に停車!
瀬野に停車します(写真21)。いわゆる「瀬野八」の下側の駅です。「瀬野八」とは、瀬野と(隣の)八本松の間の略称です。この間は急こう配が続き、昔から運転の難所とされてきたところです。
一時期は広島-瀬野間快速が運転され、瀬野折り返しが多数ありましたが、現在は瀬野折り返しは1往復だけです。そのため、2面4線という立派な設備を持て余しているように感じます。
写真22. 国道2号線の隣を走る
国道2号線の隣を走ります(写真22)。
写真23. 山あいを走る
山あいを走ります(写真23)。瀬野-八本松は10kmも距離がありますが、駅はありません。
写真24. 国道2号線は混んでいる
「瀬野八」は鉄道にとって難所ですが、それは道路にとっても同じです(写真24)。10km以上の坂道を運転するのは負担が軽くはないでしょう。そのような背景があるためか、意外とこの区間の利用は多いです。
写真25. カーブが多い
現在の鉄道にとってのネックは、むしろカーブかもしれません。このようなカーブもあります(写真25)。
写真26. 下り列車とすれ違う
下り列車とすれ違います(写真26)。
写真27. 古い家がある
古そうな家を見かけました。赤い瓦屋根は中国地方に多い印象があります(写真27)。
写真28. 八本松に停車!
瀬野八を超え、八本松に停車です(写真28)。広島市を抜けて、東広島市に入っています。余談ですが、北広島市は広島県にはなく、北海道にあります。
写真29. ロードサイドシティが広がる
八本松からはそこそこ開けています。西条盆地といわれる盆地を走ります。開けている場所特有の景色が広がります。幹線道路沿いにチェーン店が並ぶ光景です(写真29)。
写真30. 寺家に停車!
私の脳内では瀬野、八本松、西条、西高屋と駅が続きますが、現実には八本松と西条の間に寺家(じけ)が設置されています。2017年開業の駅です。2019年までは徐々に利用者が増加しており、徐々に定着されている様子がうかがえます。
写真31. 新興住宅街が広がる
2017年開業ということは、周囲の発展が見込まれる駅です。そのようなこともあり、住宅造成中の場所もありました(写真31)
写真32. 高い建物が増えてくる
高い建物が増えてきます(写真32)。西条に近づいてきて、東広島市の中心部に近づいてきたのです。
写真33. 西条近くの風景
西条近くの風景です(写真33)。ここまで都市化が進んでいたら、15分間隔の意味もあります。
写真34. 西条に停車!
西条に停車します(写真34)。ここも1つの拠点といえましょう。
写真35. 途端に田園風景が広がる
西条からはのんびりとした区間なのでしょうか。西条を出た途端に田園風景に変わりました(写真35)。
写真36. 西高屋に停車!
西高屋に停車します。ここも15分間隔運転なのは意外です。
写真37. 太陽光パネルがある
太陽光パネルがあります(写真37)。
写真38. 赤い瓦屋根の民家がある
赤い瓦屋根の民家がありました(写真38)。東広島市のことを調べると赤い瓦屋根の家は独特の景色のようです。
写真39. 白市が近づいてきた
白市が近づいてきました(写真39)。
写真40. 白市に停車!
白市に停車します。ここまでが広島シティネットワークの範囲です(写真40)。ここまでが15分間隔運転、ここからは60分間隔運転と、格差が大きい駅です。確かに車内は空いています。
写真41. のどかな風景が広がる
のどかな風景が広がります(写真41)。
写真42. カーブがある
カーブがあります(写真42)。
写真43. カーブを走る
カーブを走ります(写真43)。
写真44. 入野に停車!
入野に停車します(写真44)。駅名標が白市までの緑色から青色に変わったことに気づいたでしょうか。白市までは「広島シティネットワーク」なので、路線番号や路線カラーが設定されていますが、次の入野からは「広島シティネットワーク」から外れて、JR西日本のデフォルトカラーの青色に変わるのです。
写真45. 自然豊かな光景
自然豊かな光景です(写真45)。
写真46. 川を渡る
川を渡ります(写真46)。確かに白市を境に本数が変化することも理解できます。
写真47. 河内に停車!
河内に停車します(写真47)。このように書いて「こうち」と読みます。四国の高知駅には電車は来ません。なので、漢字の書き取りテストで「電車でこうち駅に行った」という問題が出たら、河内と書くのが正解です。
写真48. シティ電車の延長を求める看板
シティ電車の延長を求める看板がありました(写真48)。確かに、シティ電車が西条、白市と伸びてきたら、河内まで伸びてきてほしい気持ちがわかります。
写真49. 山あいを走る
山あいを走ります(写真49)。ここでは沼田川沿いに勾配を下ります。
写真50. 沼田川沿いを走る
沼田川沿いを走ります(写真50)。
写真51. 大きな橋が見える
大きな橋が見えます(写真51)。これは県道です。広島空港大橋と呼ばれるものです(図2)。
図2. 広島空港大橋の位置(googleマップより引用)
写真52. 広島空港大橋が見える
広島空港大橋が見えます(写真52)。列車で通ったときにはこれが山陽自動車道と思いましたが、本記事を執筆するにあたって改めて調べてみると、別の橋ということを学びました。
写真53. 沼田川沿いを走る
沼田川沿いを走ります(写真53)。のどかな川のように見えます。
写真54. 山陽自動車道をくぐる
山陽自動車道をくぐります(写真54)。先ほどの広島空港大橋を見た後に眺めると迫力がありませんが、これでも大きな橋です。
写真55. だいぶ坂を下りてきた感じ
坂を下りてきて、平地に出た感じがあります(写真55)。瀬野八が難所であることは上で記した通りですが、同程度の高低差は西条-三原であるはずです。その高低差に相当するぶんが白市-本郷にあるのでしょうか。確かに、距離が長いぶんだけ勾配はゆるく、難所とはカウントされないのでしょう。
写真56. 丘もある
丘もあります(写真56)。
どうでも良いのですが、私は車窓を眺めるために転換クロスシート部分に座っていました。私の目線の先にはロングシートがあり、若い男女が一緒に座っていました。広島時点で乗っていたように記憶していますが、西条でも白市でも降りません。結局糸崎まで乗っていました。私の感覚では2人で長距離乗るときは転換クロスシートに座るものという思い込みがありますが、意外とロングシートに座りたがる人もいるのかもしれません。
そのような意味で、227系や313系1000番台のような車端部ロングシートという配置は意外と良いのかもしれません。
写真57. 山陽新幹線をくぐる
山陽新幹線をくぐります(写真57)。明治時代に開業した山陽本線と、戦後に開業した山陽新幹線では路線のルート選定が全く異なることがよくわかります。
写真58. 本郷に停車!
本郷に停車します(写真58)。河内から12km以上も離れています。
写真59. 住宅街を走る
写真60. 川沿いを走る
川沿いを走ります(写真60)。本郷と三原の間も10km近くあり、そこまで近いわけではありません。
写真61. 高架に上がる
高架に上がります(写真61)。住宅もそれなりにあるので、このあたりに駅を設置すると、利用が見込まれそうにも見えます。
写真62. 三原の市街地に入る
トンネルを抜けて、三原の市街地に入ります(写真62)。
写真63. 呉線が近づいてくる
呉線が近づいてきます(写真63)。私は広島15:35発の山陽本線の普通に乗っていました。その5分前には呉線経由の快速(広島-呉間快速)三原行きが発車していましたが、その快速は私の1時間後に三原に着くという鈍足です。呉線は沿線の小都市を結ぶ役割が大きいのでしょう。
写真64. まもなく三原に停車!
まもなく三原に停車します(写真64)。
写真65. 三原に停車!
三原に停車しました。山陽本線の広島支社管内で最東端の駅です(隣の糸崎は岡山支社管内)。
写真66. 三原を発車!
その三原を発車しました(写真66)。
写真67. 岡山車も入る
糸崎-三原は広島支社管内扱いですが、岡山支社の車両も姿を見せます(写真67)。福山-三原の流動に対応するためでしょう。
写真68. まもなく糸崎
まもなく糸崎です(写真68)。糸崎は昔ながらの街という印象があります。
写真69. 糸崎は運転上の要衝!
糸崎は運転上の要衝なので、線路も多いです(写真69)。
写真70. 糸崎に到着!
糸崎に到着しました(写真70)。自らの意思で到着したはずですが、何もない場所に放り込まれた感じがあります。
糸崎→福山:岡山支社管内の旅
私を含めて何もない駅に放り込まれた乗客は乗りかえを強制させられます。そして、6両編成の列車から降りた乗客は意外と多かったです。その人たちが4両編成の列車に乗りかえます。ただし、最低限の良心として、同じホームでの乗りかえが多いです。
写真71. 岡山行きがやってきた
岡山行きがやってきました(写真71)。乗客流動上、糸崎で乗りかえるのは不合理です。その証拠に2000年代は岡山-岩国直通は比較的多かったです。当時は広島支社管内でも岡山支社管内でも同じ115系が使われていたという部分が多いでしょう。現在は広島地区は227系と異なる車両なので、どこかで直通を切る必要があり、その場所に支社境の糸崎が選ばれたのでしょう!
写真72. リニューアル車両が充当される
岡山支社管内は115系(や113系)という古い車両が充当され、その外観も独特のカラーです。ただし、中身はリニューアルされていて、乗るぶんには問題ありません。
写真73. 下り列車がやってきた
何とか座れました!糸崎どまりの下り列車がやってきました(写真73)。行先表示が幕式ということは、アーバンネットワークで活躍していた113系でしょうか?
写真74. 糸崎を発車
私を含む「糸崎乗りかえ被害者の会」一同を乗せた列車は糸崎を離れます。きっと乗り込んでいた人の多くは、そんな被害を受けたことを忘れて、次の目的地に向かい、忙しい日常生活を送っているのでしょう。
写真75. 海が見えてきた
海が見えてきました(写真75)。ここから尾道周辺は車窓から海を眺めることができます。糸崎で乗りかえる際は進行方向右側が良いです。
写真76. 遠くにしまなみ海道が見える
遠くにしまなみ海道が見えます。穏やかな海と島々。瀬戸内海らしい風景です(写真76)。
写真77. 漁港かな?
漁港でしょうか(写真77)。
写真78. 尾道が近づいてきた
尾道に近づきました(写真78)。
写真79. 尾道に停車!
尾道で多くの人が乗ってきました(写真79)。でも観光地らしい風景はありませんでしたよ!
写真80. 尾道の観光地を走る
尾道の観光地は尾道駅の東側に広がり、尾道発車後に見られるのです(写真80)。
写真81. 国道2号線沿いを走る
国道2号線沿いを走ります(写真81)。この写真では確認できませんが、夕方にも関わらず、多くの観光客が歩いている様子が確認できました。
写真82. 尾道らしい景色を走る
尾道らしい景色の中を走ります(写真82)。
写真83. 尾道水道が見える
尾道水道が見えます(写真83)。これはこれできれいな風景ですね!
写真84. 尾道水道が見える
もう1枚撮影してみました(写真84)。
写真85. 普通の住宅街が広がる
「普通」の住宅街が広がります(写真85)。三原から福山までは意外と人口が多いのです。国鉄末期に岡山地区で「さい来る電車」と称して15分間隔運転がなされたのも納得できます。
写真86. 東尾道に停車!
東尾道に停車します(写真86)。
写真87. 住宅街を走る
住宅街を走ります(写真87)。
写真88. 住宅街を走る
住宅街を走ります(写真88)。
写真89. 松永に停車!
松永に停車します(写真89)。現在、松永地区は福山市の一地域ですが、昔は松永市があったほどの場所です。
写真90. 丘陵地帯を走る
小さな丘があります(写真90)。山陽本線の岡山地区の典型的な風景です。
写真91. 備後赤坂に停車!
備後赤坂に停車します(写真91)。
写真92. 長い間かけてホームがかさ上げされてきた
長い間かけてホームがかさ上げされてきた様子がわかります(写真92)。
写真93. のどかな風景が広がる
のどかな風景が広がります(写真93)。
写真94. 広い道路が並走する
広い道路が並走します(写真94)。
写真95. 芦田川を渡る
芦田川を渡ります(写真95)。芦田川を渡ると、福山の市街地に入ります。
写真96. 福山の市街地に入る
福山の市街地に入ります(写真96)。福山市は人口45万人あり、けっこう大きな都市です。1時間に1本とはいえ、のぞみ号が停車するのもわかります。
写真97. 福山に到着!
福山に到着しました(写真97)。広島から2時間の長旅でした。
広島から福山まで乗ってみて
広島から福山の車窓は飽きることはありませんでした。特に、尾道付近の光景は美しく、印象に残るものでした。また、このような移動をするのはいわゆるオタクだけではなく、鉄道に興味なさそうな人たちがいたことも印象に残っています(広島から糸崎までロングシートに座っていた若い男女もいました)。それだけ、100km程度の移動に在来線が使われているのです。
これを根拠に、「広島から福山までの特別快速を30分間隔で設定せよ!」などというつもりはありません。高速バスに対抗するのであれば、こだま号にだけ適用できる割引きっぷを設定すれば良いためです。とはいえ、白市-三原の60分間隔、糸崎での強制乗りかえ、糸崎での待ち時間などは褒められたものではありません。
広島地区では以前の4両編成から3両編成に減少しています。そうであれば、都市型ワンマン運転を一部で導入して、再度高頻度運転を取り戻してもらいたいものです。また、高頻度運転に合わせて、広島-瀬野間快速を30分間隔で設定して、これを岡山直通に戻すとともに、三原-岡山を15分間隔に戻すこともご検討いただきたいです。そのためには、岡山地区も227系を一部で導入するなどのことも重要です。そして、岡山車と広島車の併結運転をすれば、私のようなファンには楽しくなります!
多少の文句も出してしまいましたが、比較的快適な車両と合わせて、岡山・広島地区の山陽本線は長距離移動も快適です。これからも高速バスとほぼ互角な移動手段として、多くの人の生活や旅行を支えるのでしょう。
さて、前後ではどこに行ったのでしょうか?
山陽本線(広島地区)の乗車記(広島→福山、車窓も収録、21年GW)←今ココ!
福山ニューキャッスルホテルのレビュー(福山駅前、アクセスや室内を紹介、21年GW)(次)→
※それぞれ別ウィンドウで開きます。
コメント
コメント失礼します。いつも素晴らしい記事をありがとうございます。
今回の記事では広島と福山を山陽本線の普通列車を乗り継いで移動したということでしたが、広島県の二大都市間の移動は意外にも難しいですね。以前広島と福山を結ぶ臨時の快速列車が運行されていましたが、こちらも高速バスとの競争に敗れて廃止されてしまいました。JR西日本としては、広島~福山の移動には新幹線を使ってほしいため、快速列車にはそこまで力を入れていなかったのでしょうか・・・。
ただ、現在でも糸崎と福山の間の区間列車には227系が充当されているため、1日に数往復だけでも227系を使用した快速列車を運行させてもいいような気がしました。
名前などないさま、コメントありがとうございます。
広島と福山の移動は楽しいですが、意外と手間がかかり面倒です。快速スーパーラビット号が走っていましたが、いつの間にか消滅していますね。せめて福山-糸崎の区間運用と糸崎-広島方面の運用をつなげた直通列車の設定をしてもらいたいですね。
ただし、JR側の視点で見た場合、広島-福山の競争を考えた場合、初期投資が必要な在来線快速よりも、初期投資の不要な新幹線の割安利用のほうが得策でしょう。