2階建て新幹線MAXとき号への乗車(浦佐→上野、21年夏)

記事上部注釈
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日本には2階建て新幹線が走っています。かつては多くの路線で走っていましたが、現在は上越新幹線系統のみで使用されています。その車両に乗ってみました。

写真1. 浦佐にやってくるE4系maxとき号

復習:2階建て新幹線の栄光と衰退

私が乗車したのはE4系ですが、このE4系は最後の2階建て新幹線とされています。では、なぜ2階建て新幹線は産まれ、そしてなくなったのか。このことを簡単に紹介しましょう。

最初の2階建て新幹線は100系でした。

写真2. 100系新幹線(保存車)

この車両は一部車両を2階建てに変更し、そのゆとり(同じ編成両数でも床面積は広くなる)で個室やグレードの高い食堂車を設定したのです。

写真3. 100系の食堂車(保存車)

一方、JR東日本の運営する新幹線では、複数の系統が重なり、設定本数の上限が東海道新幹線よりも低いです。そのような条件にも関わらず、朝の通勤輸送のニーズは高いです。このような制約からJR東日本の2階建て新幹線は設計されました。そのため、座席の供給の1点に絞られています。

では、なぜ2階建て新幹線は現在はほとんど残っていないのでしょうか。もしも2階建て新幹線が有用だとしたら、後継車両も2階建てにしているはずです。

E4系新幹線は最高速度240km/hで、急こう配を登ることもできません。現在の新幹線は320km/h(写真4)という性能も求められています。これに比べると、240km/hという最高速度は足かせでしかありません。高速化に対応できないことが2階建て新幹線がその後製造されなくなった大きな理由です。

E5系(仙台)

写真4. 最高速度320km/hのE5系車両(仙台で撮影)

とはいえ、「最高速度320km/hの2階建て新幹線もあるじゃないか」という声もありましょう。

写真5. 最高速度320km/hなのに2階建て(パリリヨン駅付近で撮影)

写真6. 2階席で確認した速度(TGV車内で撮影)

確かにフランスに向かうと、そのような車両は実在します。そのようなことを考えると、最高速度320km/hの2階建て新幹線を製造することは物理的には可能でしょう。しかし、フランスとは異なり、日本は線路沿いに建物が多く、騒音問題が付いて回ります。騒音は車体が大きくなればなるほど、そして速度が速くなればなるほど、大きくなります。そのため、現段階の技術では2階建て新幹線は高速化の足かせとなってしまうのです。

実際にMAXに乗ってみる

さて、実際にMAXに乗ってみましょう!

写真7. 浦佐の発車案内

浦佐の発車案内です(写真7)。1時間に1本あるかないかの本数ですが、並行する上越線が2時間程度のダイヤホールがあることを考えると、上出来なのでしょうか。

写真8. E4系がやってきた

現在、E4系は「新潟」をイメージした塗装です(写真8)。以前のE4系と塗装が異なります。朱鷺(とき)を意識したカラーリングです。

写真9. 2階建てなので側面に大きさを感じる

2階建てですので、側面に大きさを感じさせます(写真9)。

写真10. ドア付近の様子

ドア付近の様子です(写真10)。左側が車両中央よりで、階段がそびえ立ちます。

写真11. 階段の様子

階段の様子です(写真11)。らせん状の階段を登ります。

写真12. 室内の様子

私は2F(階上)の自由席を選択しました。その様子です(写真12)。それなりに席は埋まっていましたが、浦佐からであれば窓側に座れました。なお、このとき2Fの指定席は売り切れとの案内放送が流れていました。

せっかくなので、2Fからの風景を堪能しましょう!

写真13. 浦佐を出発したときの様子

浦佐を出発したときの様子です。山間部の風景が広がります(写真13)。

写真14. 越後湯沢付近の風景

越後湯沢付近の風景です(写真14)。線路の西側(東京行きでいう進行方向左側)にスキー場が点在します。

写真15. 越後湯沢が近づいてきた

越後湯沢が近づいてきました(写真15)。

写真16. 越後湯沢に停車!

越後湯沢に停車します(写真16)。2面4線+通過線2線という大変贅沢な配線です。近年の新幹線駅であれば、2面2線+通過線2線という配線だったでしょう。秋田県の湯沢駅と区別する意味で「越後」と冠を付けましたが、本家の湯沢駅よりも有名な気がします。

写真17. リゾートマンションが多い

湯沢町はスキー場も多く、そのためのリゾートマンションも目立ちます(写真17)。リゾートマンションをめぐって社会問題になったときもあったと聞きます。越後湯沢を出るとすぐにトンネルに入ります。

写真18. 群馬県に入った

トンネルを抜け、上毛高原を発車した直後の様子です(写真18)。深緑色の彩が車窓を飾ります。

写真19. 緑が多い

夏らしく、緑が多い風景です(写真19)。

写真20. 関東平野の北端にやってきた

トンネルを抜けると、関東平野の北端です。北陸新幹線の線路が近づいてきます(写真20)。2015年3月14日以降、あちらがメインルートに切り替わった感じがあります。

写真21. 北陸新幹線と合流!

北陸新幹線と合流します(写真21)。こちらのほうが先の開業なので、北陸新幹線はカーブ、こちらは直線です。

写真22. 高崎の市街地を走る

高崎の市街地を走ります(写真22)。高崎は30万都市ですので、市街地の規模もそれなりのものがあります。

写真23. まもなく高崎に停車!

まもなく高崎に停車です(写真23)。

写真24. 北陸新幹線が駆け抜けていった

北陸新幹線が駆け抜けていきました(写真24)。北陸新幹線の金沢開業のときに新幹線の分岐点の高崎を通過する便の多さに驚いた記憶があります。確かに、東京と金沢の速達性を意識すると、高崎は通過せざるを得ないでしょう。

写真25. 高崎を発車!

高崎を発車します(写真25)。

写真26. 緑が増える

再び緑が増えました(写真26)。高崎から先の上越新幹線にはトンネルはありません。上野付近のトンネルは東北新幹線の区間です。

写真27. 川を渡る

川を渡ります(写真27)。鏑川でしょうか。そうであれば、埼玉県に入りましたね。

写真28. 田園風景が広がる

田園風景が広がります(写真28)。同じ関東平野といっても、場所によって様子が異なり、埼玉県は本当に「平野」です。

写真29. 田園風景が広がる

田園風景が広がります(写真29)。

写真30. 住宅街を走る

住宅街を走ります(写真30)。これは熊谷あたりと記憶しています。

写真31. 田園風景と住宅街の共存

田園風景と住宅街の共存です。このあたりには駅はないのですが、郊外型の生活であれば、自動車社会です。そのため、日常生活で鉄道を使わない人が多くいます。その人たちにとっては、駅の近くに家がある必要はありません。私の職場にも「(よくわからないので)電車を使うのが怖い」という人も多く存在します。

写真32. 東北新幹線と合流

東北新幹線と合流します(写真32)。

写真33. まもなく大宮に停車!

大宮に停車します(写真33)。大宮は全ての新幹線列車が停車します。新宿方面は大宮で乗りかえたほうがスムーズですので、大宮の利用者は埼玉県民だけではないでしょう。

写真34. 大宮以南の速度はゆっくり

大宮以南はそこまで速度を出しません(写真34)。用地に制限があり、直線状に線路を敷けなかったため、カーブが多いためです。

写真35. 武蔵野線をまたぐ

武蔵野線をまたぎます(写真35)。これは武蔵野線本体ではなく、大宮支線です。

写真36. 倉庫や工場もある

沿線には倉庫や工場もあります(写真36)。

写真37. 荒川を渡る

荒川を渡ります(写真37)。荒川を渡ると、もう東京都です。

写真38. 赤羽付近を通過

赤羽付近を走っています(写真38)。ここから新幹線の線路は埼京線沿いではなく、京浜東北線沿いを走ります。

写真39. 北区の住宅街を走る

北区の住宅街を走ります(写真39)。このあたりでは線路を境に、西側に台地が広がります。このような景色が続き、最後にはトンネルに入ります。

写真40. 上野に到着!

上野に到着しました(写真40)。大柄な車体が目立ちます。

2階建て新幹線に乗ってみて

今回、2階建て新幹線に乗る機会に恵まれました。2階建て新幹線は床面積こそ広いものの、高速化には対応できません。そのため、引退を迫られたのでしょう。また、1階席からの展望が絶望的である点も見逃せません。これは朝ラッシュ時には良いですが、観光利用などを考えると致命的な欠点です。

現在の後継車両は2階建てではありません。こうなると問題になるのが、朝ラッシュ時です。現在、朝ラッシュ時には大宮→東京で4分間隔で運転されています。これ以上、大幅に増発することは困難でしょう。やるとすれば、3分45秒間隔にするくらいです。こうすれば、東京8時台に運転されている上越・北陸新幹線の8本を9本に増発することができ、座席減少の影響を抑制するくらいです。また、余剰のE3系を活用して増結用とする手もありましょう。

このほかに、高崎線や宇都宮線に速達列車を運転することも手です。宇都宮線や高崎線であれば、新幹線では向かえない新橋や品川へも1本で向かうことができます。幸い、両線にはグリーン車も連結されており、新幹線普通車レベルの快適性は保てます。快速運転を行えば、10分程度の速達化は可能でしょう。

いろいろと記してしまいましたが、2階建て新幹線が存在し、輸送力を発揮していた時代の終焉がまもなくやってきます。そのとき、新幹線が進む道は輸送力ではなく速度であることがより鮮明になるのです。

前後を読みたい!

さて、前後ではどこに行ったのでしょうか?

←(前)飯山線の乗車記(21年初夏、おいこっとにも乗車)

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長野旅行を振り返って(次)→

※それぞれ別ウィンドウで開きます。

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