長崎の街歩き観光(24年GW)

記事上部注釈
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長崎といえばエキゾチックな都市です。そんな長崎の雰囲気を堪能しました。

写真1. 大浦天主堂の教会は欧州の雰囲気が伝わる

アーケードと国道の共存

写真2. 国道であることを隠そうとしない堂々としたアーケード

長崎市内には国内で唯一ともいえる場所があります。それがアーケード内を通る国道です。

図1. アーケードと共存する国道(googleマップより引用)

アーケードを通る国道の位置を示しました(図1)。アーケードを通る国道はとても珍しく、全国に2か所しかありません。もう1か所は国道ということを隠すように国道標識が掲示されていないとも聞き、ビジュアル面で見ると全国唯一、アーケード国道を実感できる場所です(写真2)。

全国唯一とあれば行かないわけにはいきません。実際に歩いてみましょう!

写真3. 浜町アーケード電停近くの様子

浜町アーケード電停近くの様子です(写真3)。朝5時から朝10時の5時間以外は車両通行止めの標識と国道324号の共存が美しいです。

写真4. アーケードを歩く

アーケードを歩きます(写真4)。人通りも多く、地元の中心という印象です。観光客の姿は少なく感じられ、まさに真の長崎が現れている側面です。

写真5. 南北軸のアーケードと交差

南北軸のアーケードと交差します(写真5)。

写真6. 南側を眺める

南側を眺めます(写真6)。私の住む関東地区にはアーケード街は少ない印象で、アーケード街は西日本地区らしさを感じます。関東地区でアーケード街が交差しているのは柏くらいでしょうか。その柏の交差地点にもマクドナルドがあり、長崎との共通性を感じます。

写真7. アーケードの様子

人が多く、都市の活気が感じられます(写真7)。都市の魅力は個別のスポットもそうですが、ダイナミックな人の集まりだと思います。このあたりには長崎唯一の百貨店もあります。

写真8. アーケードを歩く

アーケードを歩きます(写真8)。

写真9. マイナーな百円ショップ

マイナーな百円ショップがありました(写真9)。

写真10. アーケード国道も終端が近づいた

アーケード国道も終端が近づいてきました(写真10)。

写真11. 歩行者専用と国道標識の組み合わせが美しい

東側の終端までやってきました(写真11)。歩行者専用の標識と国道標識の組み合わせが美しく、まさに芸術です。ただし、ここを歩いている人の多くはその芸術性に気づかずに、街の中心部を歩く様子でした。毎日接していたら、芸術も日常に変わることを実感したのです。

種明かしですが、この南側には市道があり、自動車で移動する際はこの市道を使えば問題ありません。

崇福寺

その国道324号のアーケード区間の東端の近くに崇福寺があります。

図2. 崇福寺の位置(googleマップより引用)

写真12. 長崎の市街地を歩く

長崎の市街地を歩きます(写真12)。西日本の都市という感じがありますが、何がそう感じさせるのかは説明できません、申し訳ございません。

写真13. 坂道を登る

坂道を登ります(写真13)。

写真14. 崇福寺に到着!

崇福寺に到着します(写真14)。「路面電車の電停名に採用されているから、それなりの場所だろう」という動機で来ました。長崎電気軌道の駅名改称のお陰で1人の観光客が釣れましたね!

写真15. 拝観料はお賽銭箱に!

拝観料(300円)が設定されていますが、入場時に支払うのではなくお賽銭箱に入れる形態です。性善説をベースとした人件費節約でしょうか。

写真16. 階段がある

階段があります(写真16)。坂の町らしくお寺の中も高低差が大きいです。

写真17. 階段から振り返る

階段から振り返ります(写真17)。

写真18. 赤いお寺

赤い建物です(写真18)。

写真19. 赤い建物

赤い建物です(写真19)。中国風の寺らしい雰囲気です。

写真20. デーン!

デーンと建っています(写真20)。このあたりにお賽銭箱があったかな?ちゃんと300円支払いました。

写真21. 赤い建物がある

中華風らしくどの建物も赤いです(写真21)。

写真22. 坂に展開する都市

坂に展開する都市と実感できます(写真22)。

ここは中国風のお寺で、「普通」のお寺とは一味違う雰囲気を楽しめることができました。長崎が異国への玄関口であることを実感する一幕となりました。

大浦天主堂

長崎といえば西洋の風が吹いてきた場所でもあります。そんな西洋の風を感じる場所の1つに大浦天主堂があります。そんな大浦天主堂を堪能しました。

注意

厳密には大浦天主堂は教会のみを指しますが、本記事では大浦天主堂の入場料を支払い入る部分をそう称して大浦天主堂と表記することにします。大浦天主堂そのものは大浦天主堂の教会と記すことにします。

図3. 大浦天主堂の位置(googleマップより引用)

大浦天主堂はその名の通り、大浦天主堂電停で降りると行くことができます。大浦天主堂に向かう系統は長崎駅前を経由せず、新地中華街で乗りかえることが必要です。ICカードの場合、新地中華街で乗りかえると運賃は通しで計算されます(長崎電気軌道のIC乗換え割引を参照ください)。

私は中心街の現代的なホテルに泊まっていたので、浜町アーケード電停から大浦天主堂まで路面電車で1本でやってきました。

※グラバー園に向かう人もここで降りる人も多いですが、大浦天主堂で降りるとグラバー園内で上り坂を歩く羽目になります。したがって、石橋からグラバー園に向かうと良いです。この点は弊サイトにも記載しています。

写真23. 大浦天主堂を降りて川を渡る

大浦天主堂を降りて川を渡ります(写真23)。

写真24. 道なりに進む

道なりに進みます(写真24)。

写真25. 市内循環バスも運行されている

市内循環バスも運行されています(写真25)。20分間隔とそれなりの運転本数です。

写真26. 大浦天主堂付近

大浦天主堂付近の光景です(写真26)。このあたりはグラバー園の近くということもあり、観光客目当ての店も多く位置します。

写真27. 大浦天主堂がデーン!

大浦天主堂がデーンと建っています(写真27)。いきなり西洋に来た感覚です。

写真28. 素晴らしい展示

素晴らしい展示です(写真28)。キリスト教の信仰が認められたことを記念した意味合いだったと記憶しています。

写真29. キリストの素晴らしさを実感しに行く

キリスト教の素晴らしさを実感しに行きましょう!誰ですか?この旅行で直前に寺に行ったと告げ口した人は?

写真30. 中は撮影禁止!

教会の中は撮影禁止です(写真30)。なので、弊サイトではここまでの写真しかお見せできません!中に入るとキリスト教が迫害されてきた歴史が音声で流れていました。大変でしたね…。

写真31. キリシタン博物館もある

キリシタン博物館もあります(写真31)。ここではキリスト教が迫害された歴史が展示されていました。中身を非常に簡単にまとめると以下の通りです。

  1. キリスト教の宣教師が日本に到着、このときに「バックには強力な軍隊が控える国家が存在」と自らの地位の高さを見せつける
  2. 九州地区を中心にキリシタン大名が誕生。おそらくキリシタン貿易で得られる利益に目がくらむ者もいた模様
  3. 1の背景と(地方大名を必要以上に肥えさせたくない)幕府はキリスト教を禁止し、神道に基づいた国家を構築(神社で「神道を信じています」のような証明書が作られていたようです)
  4. それでも信仰を捨てきれない人々はお釈迦像などをキリストの偶像に読み替え、水面下でキリスト信仰を継続
  5. 開国し、(諸外国の圧力もあり)キリスト教が事実上解禁される
  6. 明治政府に変わり、(諸外国の圧力や「近代国家」としての体面を整える魂胆もあってか)信教の自由が建前上保証される

先ほどは弾圧されていたキリシタンに対し、ある程度同情の気持ちもありましたが、宣教師のひとことが諸悪の根源と感じました。人々の信心を利用して自らの利益を確保しようという姿勢が弾圧を招いたとも解釈できます。単純な宣教に留まっていたら歴史は変わっていたかもしれません。そして、隠れキリシタンにも証明書を発行した神社のザルぶりにも驚きました。

展示物に関する感想はともかく、教会そのものは静かな空間であり、宗教施設らしい荘厳さを感じました。

長崎の街歩きギャラリー

このほかに訪問した場所をギャラリーで紹介します。

写真32. 浜町アーケード電停付近の風景

写真33. アーケードから伸びる横道

写真34. 崇福寺の裏手付近

写真35. 崇福寺の裏手付近

写真36. 思案橋付近の光景

写真37. 思案橋電停と市道

写真38. トルコライスの店(夕食会場!)

写真39. 夕暮れの都市と路面電車

写真40. 夕暮れの都市光景

長崎の街歩きを堪能して

今回、はからずも中華風欧風、そして戦後の日本、を感じさせる場所に訪問することができました。これは長崎がまさに外国の窓口として異文化が入りやすかった土壌を反映しているといえ、長崎の歴史的立ち位置を実感できました。一方、戦後の日本の都市らしさを感じることもでき、日本にいる実感も持ちました。

このような多様性こそ都市らしさの象徴です(東京にも昔ながらの日本らしさ、明治以降の洋風、そして現代の再開発などの多くの側面があります)。都市の魅力は個別の観光名所のみならず、多様な歴史を感じることや、そこに集う人々がいることなのでしょう。このような中心街がいつまでも魅力を保ち続けて欲しいと感じたものです。

補足

今回は以下のホテルに宿泊しています(ホテルエイチツー(hotel H2)長崎の宿泊記)。

前後を読みたい!

果たして前後はどこに行ったのでしょうか?

(←前)ホテルエイチツー(hotel H2)長崎の宿泊記

長崎の街歩き観光:現在地

武雄温泉での接続風景(→次)

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