オリエント急行。誰しも聞いたことのある列車です。今や伝説と化した名列車ともいえる存在ですが、そんなオリエント急行のサロンカーを現代日本でも味わうことができます。そんなサロンカーを堪能しました。
写真1. エレガントなオリエント急行の車両
復習:元祖オリエント急行
オリエント急行を似せたものが現代では復刻しているとも聞きますが、まずは「元祖」オリエント急行についておさらいしましょう!
図1. オリエント急行の経路(第一次世界大戦前)
最初のオリエント急行はパリ(フランス)とイスタンブール(トルコ)の直通列車として運転されました(図1)。途中の経路に変遷がありますが、ウィーンやブダベストは重要な経由として外せませんね。また、ロンドン連絡便として、途中で連絡船(ユーロトンネルができるのはずっと後です)使用のロンドン-イスタンブールの系統も設定されています。
ドイツ西部のシュトラスブルク(現 フランス共和国ストラスブール)など、現代の所属国と異なる都市もあることが時代を感じさせます。
図2. オリエント急行の経路(戦間期)
戦間期はパリ・ロンドン-イスタンブール以外の経路も設定されました(図2)。このころがオリエント急行の最盛期です。戦後は東西冷戦や航空機の台頭により、徐々に運転区間が短縮され、2001年にはパリ-ウィーン間の夜行列車、2008年にはストラスブール-ウィーンの夜行列車に短縮され、2009年12月に廃止になっています。
なお、2021年12月ダイヤ改正で、パリ-ウィーン間の夜行列車が復活する予定です。ただし、往年のパリ起点の列車ではなく、ウィーン起点の列車です。
(第二次世界大戦までの全盛期は特に)オリエント急行はあこがれの豪華列車であり、今でも豪華列車の代名詞として知られています。まあ、戦後のオリエント急行は性質が変わるのですが、ここではあまり声を大きく主張しないことにしましょう。
オリエント急行とラリック美術館
ところで、日本には多くの美術館があります。昔の日本の絵画を紹介したもの、現代的な美術品を紹介したもの、それぞれの美術館にはテーマがあります。神奈川県の箱根は温泉地ですが、多くの美術館があり、箱根ラリック美術館もその1つです。ラリックとはフランスの芸術家で、多くの建造物に関わっています。
このラリックはオリエント急行の内装も手掛けたこともあり、現代日本にオリエント急行のサロンカーが運ばれることになったのです。そして、そのサロンカーはカフェとして運営されています。そう、箱根ラリック美術館に行くと、オリエント急行のサロンカーを味わえるのです。
では、どのようにオリエント急行のサロンカーを堪能できるのでしょうか。いきなり行ってすぐに案内されるのではなく、現地に行って事前に予約(このとき支払いも済ませる)する必要があります。これはとても不便ですね。また、予約できるのは、10:00~、12:00~、14:00~、16:00~の1日4回だけです(「感染症対策のための消毒」で11:00~、13:00~、15:00~は受け付けていません、これはコスト削減と勘ぐってしまいます)。
そうそう満席になることもないので、そのような心配は必要ありません。どうせなら、本物のヨーロッパの食堂車のように、常時回転でも良さそうですね!
そのラリック美術館へは、箱根湯本駅から箱根登山バスで仙石経由桃源台行きで向かうのが最も一般的なアクセスです。
実際にオリエント急行のサロンカーを楽しむ
さて、実際にオリエント急行のサロンカーを楽しんでみましょう!もちろん、箱根湯本駅からのアクセスも紹介します。
箱根湯本からラリック美術館へのアクセス
まず、箱根登山バスの路線図をご覧いただきましょう。
図1. 箱根登山バス(ラリック美術館関係)
箱根湯本駅から桃源台方面行きで仙石原案内所前で降りると、ラリック美術館に向かうことができます。ラリック美術館というバス停がありますが、仙石原案内所前から歩いても苦ではありません。
その仙石原案内所バス停までは、箱根湯本から15分間隔(平日の場合、土曜・休日は毎時5本)で発車しています。土曜・休日は箱根湯本断面で毎時50分と毎時10分の間に20分のダイヤホールが存在することが多いです(箱根湯本の時刻表参照)。ただし、ポーラ美術館行きが割り込むこともあり、その場合のダイヤホールは短くなります。本来であれば、ポーラ美術館方面を60分間隔、桃源台方面を10~20分間隔で運転し、両者が重なる箱根湯本-仙石原地区は完全な10分間隔にすると便利でしょう。
箱根地区には伊豆箱根バスも運行されていますが、この会社は仙石原地区には路線がありません。そのため、ラリック美術館関係は伊豆箱根バスを考慮する必要はありません。
写真2. 箱根湯本駅の3番のりば
箱根湯本では3番のりばから発車します(写真2)。10分間隔で運転されていても、バス待ちの列が長いですね。本数が多いからバスを選ぶ人が多いのか、バスを選ぶ人が多いから、本数が多いのか、いずれにしても好循環です。
写真3. バスがやってきた
バスがやってきました(写真3)。
写真4. 車内の様子
土曜の朝ということもあり、車内はそれなりに混んでいましたが、席を選ばなければ座れました。道中の風景をいくつか紹介しましょう。
写真5. 乗用車で混む道路
乗用車で混む道路です(写真5)。
写真6. 箱根ガラスの森美術館を通過
箱根ガラスの森美術館で多くの人が降り、座席にも余裕が出てきました(写真6)。
写真7. コンビニの前を通過
仙石原地区はある程度住宅があります。その一角のコンビニエンスストアを通過しました(写真7)。
写真8. 仙石原案内所前バス停に到着!
仙石原案内所前バス停に到着しました(写真8)。
写真9. ラリック美術館が見える
ラリック美術館が見えます(写真9)。周囲と雰囲気が異なるので、何となくわかります。
写真10. ラリック美術館の駐車場を歩く
ラリック美術館の駐車場を歩きます(写真10)。
写真11. 受付の様子
2時間間隔でしか受け付けず、先払いでキャンセル不可という「上から目線」を感じるオペレーションです。また、消毒に1時間20分もかかる(40分に追い出される)のかは疑問です。「感染症対策」と称した体の良いコスト削減と勘ぐってしまいます。ともかく、受付を済ませます。
写真12. サロンカーの入場券
このような入場券が与えられます(写真12)。
実際にオリエント急行のサロンカーを楽しむ
展示物を眺め、近隣のレストランで食事を済ませ、いよいよ中に入ります。12:00の直前は控室で待ちます。
写真13. サロンカーの外観
この待ち時間の間にサロンカーの外観を眺めることができました(写真13)。優雅な外観です。
写真14. 間近で眺める
間近で眺めてみます(写真14)。なお、入場前にこのサロンカーに関するビデオを紹介してくれます。オリエント急行の運行形態などの説明はあまりなく、ラリックの生涯や美術品の紹介が主体でした。ここは鉄道博物館ではなく、美術館です。そのような説明が中心になるのも仕方ないでしょう。
個人的には隣にベルリンSバーンの車両を置いてほしいとも思いましたが、ラリックとは全く関係なくなってしまいますね…。
さて、中に入ってみましょう!
写真15. レトロな車内に入る
レトロな車内に入ります(写真15)。古い車両を大切に保管しているためか、客側にも節度ある行動を求められます。例えば、壁面にむやみに触らないなどのことです。もちろん、私もそうします。
写真16. 座席がゆったりしている
座席がゆったりしています(写真16)。オリエント急行のサロンカーは横2列配列で、横3列配列の一般的な食堂車よりも席の横幅があります。
写真17. 食堂車の例(ベルリンからプラハへのユーロシティで撮影)
参考に、現代の一般的な食堂車を示しました(写真17)。
写真18. 天井の照明も素敵
天井の照明です。電球色で、素敵な空間の演出に一役買っています(写真18)。
写真19. テーブルサイドの照明
テーブルサイドの照明も雰囲気を醸し出しています(写真19)。先ほどまでオペレーションについて辛口で述べましたが、このような素晴らしい車両に2200円(大人1人当たり、税込)で堪能できるのは非常に貴重なものであり、これは感謝しかありません。
写真20. 室内の様子
室内の様子です(写真20)。アクリル板は当時のオリエント急行にはなかったと思いますが(アクリル樹脂の実用化は1934年ごろとされます)、ここは大目に見ることにしましょう。
写真21. 個室もある
室内には個室もありました(写真21)。「個室料金」をとってここで飲食できるようにしても良さそうですね!
写真22. ラリックのガラス工芸品
ラリック先生はガラスなどを使った工芸品が代表作です。そのガラス工芸品を堪能できました。天井の照明です(写真22)。
写真23. 洗面台もある
洗面台もあります(写真23)。濃い木目カラーを採用しており、シックで高級な印象があります。
そして、40分後に追い出されました。40分の飲食では時間不足な感覚は否めませんでした。なお、2200円の対価にふさわしい飲食物だったと記憶しています。
オリエント急行を堪能してみて
やや上から目線の姿勢を感じましたが(私のような「庶民」の感覚のせいでしょう)、2200円でオリエント急行の車両を楽しめるのは素晴らしいことでしょう。保存車両ということもあり、好き放題の行動はできませんが、これは歴史の生き証人となる対価と考えれば納得できます。
この営業形態やオリエント急行の車両の賛否はあるでしょう。しかし、このような車両を持続可能な形態で維持・管理していることは非常な重要なことです。古いものを残すのはコストがかかりますが、コストがかかることができるのは日本がそれなりに豊かである証拠と考えることができます。(この美術館に限らず)これからも多くの歴史的なものを維持・管理できる社会を持続して欲しいし、自分もその一員であり続けたいと感じたものです。