16年夏ドイツ鉄道旅行記~ベルリンからミュンヘン:ICEの基礎と実体験

ベルリンからミュンヘンまでICEに乗車しました。ここでは、ICEの基礎知識と実際に乗車した際の2つのハプニングをご紹介します。



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この記述は2016年のものです。2018年冬ダイヤ(2017年12月)から新線開業にともなって、新たな運転体系となっています。その概要をまとめました。

列車でのベルリンとミュンヘンの移動(時刻表あり、18年最新)

ICEについての概要

ベルリンからICEに乗車しましたが、ここで改めてICEについて復習します。
ICEはドイツの高速列車のことを指します。「ドイツの新幹線」という人もいますが、それは誤りです。あくまでも高速列車です。

ICEネットワーク2018

図1. ICE網(DBより)

この図を覚える必要はありませんが、重要な点は高速新線だけを経由しているわけではないことです。例えば、私が前日に乗車したケルン(Köln)-ベルリン(Berlin)間の高速新線はハノーファー(Hannover)-ベルリン間の一部区間に限られ、その他の区間は在来線を走るのです。そう、一部区間は高速新線を経由しないことを前提にネットワークを構築しているのです。この点-全て専用の路線、車両、などのシステムを使用しない-が新幹線と違うのです。口うるさいマニアに突っ込まれるので、ここでは高速列車と呼ぶことにします(私が口うるさいマニアですか、まあまあそこは穏便に…)。

また、この図を見て気づくことは、全国をネットワーク状に路線網が形成されていることです。新幹線網は東京を起点としています(上越、北陸新幹線は途中まで共用、北海道新幹線は東北新幹線の、山陽新幹線と九州新幹線は東海道新幹線の延長ととらえてみましょう)。これは、ドイツ統一が比較的遅かったこと(明治維新くらい)や、戦後45年間ドイツが東西に分断されていたことなどにより、国の機能がベルリンに集中しなかったことが主因でしょう。

このような前提条件を踏まえて、ICEと向き合ってみましょう。ICE網が全国にネットワーク状に広がっているということは、周遊旅行に適しているといえます。一方で、メインとなるルートがない(※)ので、ある2都市間の移動の需要が少なく、本数も少ないという面もあります。本数が少ない理由の1つに(日本でいう)在来線を使用するので、物理的に本数を増やせないということもあるでしょう(極端にいうと、東海道新幹線が東京-横浜で東海道線を通るようなものです)。

※日本なら1本の軸の上に東京、名古屋、大阪とあるので、東京-名古屋や名古屋-新大阪の移動に東京-新大阪の列車を使用できます。一方、フランクフルト(Frankfurt)、ケルン、ベルリンは1本の軸にないので、フランクフルト(Frankfurt)-ケルンやケルン-ベルリンの移動に、フランクフルト-ベルリンの列車を使用できないのです。

本数の少なさという面を具体的に時刻表から見てみましょう。

例1. ベルリン(ドイツ第1の都市)-ハンブルク(Hamburg、ドイツ第2の都市)
ICEはおおむね1時間に1本、その他の特急(EC)が2時間に1本

例2. フランクフルト(ヨーロッパ有数の金融都市、ドイツ第5の都市)-ケルン(ドイツ第4の都市)
中央駅どうしを結ぶ系統は1時間に1本あるかどうか、その他を含めても1時間に2本程度
そして私が乗車したケルン-ベルリンは1時間に1本、ベルリン-ミュンヘンは2時間に1本という有様でした。ベルリン-ミュンヘンは12両編成なんだから、5両編成か7両編成にするかわりに毎時1本にすれば良いと思います。

食堂車でのハプニング(ライプツィヒ事件)

ヨーロッパの列車はコンパートメント時代の名残なのか、回転式リクライニングシートや転換式クロスシートという概念が存在しません。つまり、進行方向と逆を向いている座席が存在するのです。これは2等車(JRでいう普通車)だけではなく、1等車(JRでいうグリーン車)でも同じです。
また、座席割と窓割も一致しません。つまり、窓側の座席に座っても景色を楽しめない可能性があるのです。これはサービス重視の日本ではありえないことです。日本では座席割と窓割が一致しない有料特急など聞いたことがありません。

現地人はこのような点をあまり意識していないようですので、ドイツのルールブックはドイツの人達が決めていると考えるしかありません。
なお、私の当たった席は、「窓割りはそれなりに一致しているが、進行方向逆向き」というものでした。まあ、途中のライプツィヒ中央駅で進行方向が逆転するので、まあ良いでしょう。

ICE-Tの車内

写真1. 美しい車内

ICE-Tの車内(貫通路付近)

写真2. 貫通路付近も美しい(さっきから美しいとしか言っていないですよね)
最初はケチをつけてしまいましたが、車内空間についてはドイツに軍配が上がりそうです。洗練された車内、ゆとりのある空間の象徴の食堂車。そう、昼食を摂取していない私はしばらくして食堂車に行くことにしたのです。

ICE-T食堂車車内

写真3. 美しい食堂車

前日は朝食メニューにチャレンジしましたので、今日は通常メニューにチャレンジしてみましょう。写真(だったかな)入りのメニューなので、何となくわかります。ホワイトソースと豚肉の料理が美味しそうだから、それを頼んでみましょう。
私「(メニューをさしながら) This Please.(と言ったかな?)」
女性の係員「●×☆☆※~」
私がEnglish Pleaseとお願いしても、全くわかってくれません。
ここは旧東ドイツ地区、英語が通じにくい地域です(ロシア語なら通用したのかな?)。まさに教科書通りの展開です。しかも彼女は東ドイツ時代に教育を受けていそうな年齢…。これは困りましたね。
そこで、近くの席に座っていた男性が英語に通訳をしてくれました。どうやら、こんな内容です。

・彼女はライプツィヒで降りる
・ライプツィヒで交代の人がくる

・だから、交代の人が来たら料理を注文して欲しい
そう、「引き継がないからもう注文しないでね!」という意図だったのです。日本だったら、注文を聞いて、次の人に引き継ぐでしょう。しかし、ここはドイツです。日本人の私がとやかく言うことではありません。ドイツのルールブックはドイツの人たちなのです。面白くなった私はこれをライプツィヒ事件と命名しました。
彼女(ウエイター)はライプツィヒに着く直前に速攻で料金精算を行っていました。「早く帰らせて」という態度ですね。普段の私が職場で行っている振る舞いだったので、共感しました。このような態度が許されるのがドイツなのかもしれません。
文章が続いたので、ライプツィヒに着くまでの車窓をご紹介しましょう。

ベルリンを出て農村地帯を走る

写真4. 農村地帯を走る

ベルリンを出て農村地帯を走る

写真5. 農村地帯を走る

緑もない車窓

写真6. 刈り取ったところ?

風車が現れた!

写真7. 風が強いのでしょうか?

ライプツィヒ直前の景色

写真8. ライプツィヒ直前の光景

ミュンヘンまで複線電化の立派なインフラを誇っていました。きっと、電化と高速化が行われたのでしょう。
※昔の写真を見ますと、ベルリンでさえも長距離線は電化されていませんでした。
ライプツィヒで進行方向を変えてミュンヘンに向かいますが、別の事件があったのです。

列車の長時間停車:ゴータ事件

ザクセン州の農村地帯

写真9. 雄大な景色

ザクセン州の農村地帯

写真10. 麦秋は終わったようです(余談ですが、麦秋は夏の季語です)

写真11. 美しい水辺(さて、この旅行記だけで何回「美しい」と言っているのでしょう?)

写真12. 同じような景色が続く

前日のケルン-ベルリン間と同じような景色が続きます。いわば「ドイツの田舎」という景色です。日本よりもドイツのほうが人口密度が少なく平地が多いので、このような景色が続くのでしょう(と私は考えています)。
食堂車から自席に戻ったら、私が予約していた席に見知らぬおじさんが鎮座していました。チケットを見せながら「This is my seat」と英単語を発したら(英会話ではありません)、どいてくれました。座席指定がなされていてもキャンセルかもしれない、その席を予約している人が現れたら声をかけるだろう、そのように彼が考えた末での行動でしょう。日本とドイツの考えかたの違いが垣間見れたできごとでした。

エアフルト直前の景色

写真13. 大きな駅(エアフルトだったかな?)

このような田舎を経由して、エアフルトに着きます。ドイツ中央部のそれなりに大きな街ですね。エアフルトを発車してから、列車のスピードが上がりません。どうしたのでしょう?
ついに名も無い駅(Gotha、ゴータ)に停車してしまいました。

ゴータに停車

写真14. ついに停車してしまった…

停車してしばらくは車内放送もありませんでした。しばらくして車内放送が流れたら、車内に笑い声が溢れました。私はドイツ語に疎いので、よくわかりませんでした(ベルリン発車時点で12両編成だったのが、ミュンヘン到着時に7両編成だったので5両編成のほうが故障したのでしょう)。この日はミュンヘンに行くだけでしたので、定時到着は諦めて腹をくくることにしました。乗っていれば着くだろう(実際そうでした)、もしも乗り換えが必要になるのであれば、人々の後に付いていけば良い、そう考えたのです。私はこのできごとをゴータ事件として記憶することにしました。
ゴータ事件は無事に解決し(たのでしょう)、足取りを回復しました。ゴータは旧東ドイツの都市(のようです)、その先のフルダは旧西ドイツの都市です。つまり、その間に旧境界線が存在していたのです。ただし、私にはわかりませんでした。それだけ昔の「東西」という概念はなくなりつつあるのでしょう。

ICEから眺める丘陵地帯

写真15. 山がちの地形になってきた様子

ICEから眺める丘陵地帯

写真16. やはり丘陵地帯を走る

ICEから眺める丘陵地帯

写真17. もう旧西ドイツに入ったのでしょうか?旧東ドイツの団地群とはお別れですね…

列車の遅れに無関心な動物たち

写真18. 列車の遅れには無関心な動物たち

私は途中で眠ってしまいました。眠った私を乗せたICEは80分程度遅れてミュンヘンに着いたのでした。この日に限り、インスブルック行きではなくミュンヘン止まりになったのでした。つまり、車両故障(なのかな)の影響で国際列車が消滅したのです。遅れたとはいえ、夏のドイツはまだ明るかったので助かりました。

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私はベルリンを中心として、他の2系統にも乗っています。その2系統の乗車記録も記しました。

フランクフルトからベルリンまでICEに乗る
16年夏ドイツ鉄道旅行記~ケルンからベルリンまでICEに乗る



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